十二国記『白銀の墟 玄の月』を読んだよ!

すごかったですね!

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なにせ18年前のことですし、細部を思い出すためにじっくり読み直しました。
あの10/12の前の日、蝕が来るのであらかじめ新潮文庫版の既刊を全部買い直しておいたのです。

十二国記」という物語のつながり

まずはウォーミングアップとして、十二国記全体の話をします。
十二国記、いい機会だから読んでみようか……」という人も多いようで、いやほんと、この作品だけは、最後の怒涛の展開もよくあるし、「あああっ、そういうつながりだったの!?」という驚きがあるので、うっかりしたことを書けない。「ガルパンはいいぞ」と同じく「ねずみまで待て」とかいうふわふわワードで頑張るしかない。

どの順で読むのがおすすめか、なんて話題もよくあった。最初は「図南の翼」が読みやすいからおすすめ、なんて言ってるひとも結構いますが、それじゃあ、……犬狼真君が!ねえ!?あれひとつの感動ポインツでしょう。先に「東の海神」読んでよ……と思うが、言えない。そう言ってしまうこと自体がネタバレであるという。

魔性の子」からでしょう。普通に。そして「白銀」で「最初の物語に、つながったーー!」というスケール感を味わって欲しい。
念の為申し上げておきますが、「白銀」は、有名シリーズでだいたいそれぞれの話としては完結しているんだけどちょっと新しい展開思いついたから新キャラとかも追加して楽しく書き上げたよ!というお話では、ないのです。
魔性の子」で起きた事件、それはある少年の数奇な運命の一時期を切り取ったものなのですが、それがついに「白銀」で決着を見る、という、長い、長い伏線なのです。

だからいきなり最新刊だけを読むなんてことはありえません。何冊かだけ拾い読みするのもおすすめしない。全部読む。どうせ全部読むんです。何度も読み返すんです。特に「黄昏の岸」のオールスターズぶりを見てくださいよ。そりゃ、プリキュアオールスターズだったら最新シリーズとその前ぐらいしか見てないちびっ子でも楽しめるように作ってあるかもしれない。でも、それでも多く知っていれば知っているほど楽しめるんです。ラーメン全部入りと違って一回で食べきれなくても、取っておいていいんですよ本というものは。「メンマとチャーシューと海苔だけ食べて白銀のライスに備えましょう」なんていうのはもったいない。

場所や人物としては確かに戴と泰麒の物語、魔性の子、風の海、黄昏の岸、が「白銀」へと続く道筋ですが、もちろん「華胥の幽夢」に入っている短編の「冬栄」も絶対外せない。じゃあ陽子や延王の物語はいいのか、というと、あの世界の入門として「月の影」は必要だし、レジスタンスの戦いぶり、クライマックスの痛快さという意味では「風の万里」に「白銀」は通じるところがある。反逆者との対峙という意味では「東の海神」がまた別の捉え方があるし、「乗月」も興味深い。なにやら潜んでいそうな、西王母や碧霞玄君、それと対極的な黄海、黄朱の世界を知っておきたいので「図南の翼」も読む。……結局全部つながっているではないですか。

そして特に今回、「白銀」を読むのにあたって優れたサブテキストは短編集「丕緒の鳥」だと思います。(この辺からだんだん内容に踏み込んでいきます)

「白銀の墟」前夜祭としての「丕緒の鳥

今回の「白銀」で18年ぶり、とさかんに宣伝されていますが、実は短編集「丕緒の鳥」が2013年に出ていました。2001年は「黄昏の岸」「華胥の幽夢」が出た年。「18年ぶりの『長編』」という意味なんでしょうね。この、なんとなく長編じゃないからとスルーされているような「丕緒の鳥」が、「白銀」を読み解くには重要なのではないか。少なくとも、少女向けジュブナイル、作者に寄せられた読者たちの悩みへの回答として書かれたという「月の影」の頃とは違う、今の小野不由美さんの考えに近い作品であることは間違いありますまい。

これには4つの話「丕緒の鳥」「落照の獄」「青条の蘭」「風信」が収められています。
「落照の獄」では、「人間なら人を軽く殺められまい」「人間なら、刑罰は苦痛であるはず」といった人間としての前提がことごとく狂った存在が現れたとき、それを「人外」の者として排除してよいのか、如何に裁くことができるのか、という苦悩が示されます。この世の秩序に潜む「バグ」を突かれたとき、どうするか。人はどうなるか。……多少こじつけ気味ですが、今回の「王も麒麟も不在な場合天命はどうなるか」あるいは「人として異端、麒麟としても異端の黒麒」、ついでに「王のくせに仕事を放棄する男」いわゆる「阿選仕事しろ」問題などが出てきます。この頃「前提に合わない存在が現れて一見上手くできたルールが崩れるとき」を小野不由美さんは考えていたのではないか。さらに憶測を重ねれば「世界が上手いこと出来すぎたら、今度は壊してみたくなる……」と、まるで忍者サスケの「必殺技を編みだすときは、それが破られたときのことも考えておくものだ」みたいなことすら考えていてもおかしくない……。そんな気がしました。

丕緒の鳥」も、射抜かれ砕けるための陶鵲が、鵲を射落とすことが、吉兆であるはずがない。そんな前提崩しがあります。真っ直ぐ王の膝許に飛んでいく一羽は、泰麒か、はたまた実際景王に飛び込んだ李斎か。

そして、「白銀」と同様に、「青条の蘭」「風信」も名もなき民の話。特に「青条の蘭」は山師、猟木師の話で、雪中を強行する内容、民が王宮を目指し次々とリレーしていく内容とも相まって「白銀」を強く感じさせます。山について詳しく調べた時期だったんだろうか。
というわけで、万一「丕緒の鳥」を読んでいないというひとがいましたら、まあちょっと買ってくるといいでしょう。

はい、では以後はネタバレありの、「魔性の子」から「白銀」4巻、すべて読み抜いた人達同士の楽しい語らいのひとつとして文章を書きます。まだの方は是非、読み終わってからまたいらしてください。

特に良かったところ

忘れてしまいそうなのでまずなにが良かったのか、ナマの読了直後のメモから。

「先生……!」

ああ……。あの地獄のような日々でも、泰麒の心に残るものがあった――。
そしてもっと深く印象に残った、こみ上げてくるものがあったのが、このシーンです。

「これは敵だから討てと言われれば、義務ですから討ちます。ですが、それを知らずに暮らしていた隣家の住人まで殺すようなことは嫌です」
言って男は拳を口許に押し当てた。
「ずっと――本当に嫌でした」

男泣きですよ。兵士が。怺え切れずに。嫌なんだよ。嫌なものは嫌なんだよ。

とにかく泰麒だった

あの黒麒、凄い。いや読みながら、ちょっと呆気にとられるように苦笑かつ感嘆しましたよ。「これ、すごいな……」
だって麒麟ってそういうのじゃないじゃん?最初から読んでるひとこそ身に沁みてわかってる。どっちかというと乱暴な王の所業に「あら民が可哀想だわ、あらどうしましょう」ちょっとー、よしなさいよーとおろおろする立ち位置だと擦り込まれている。なにせ最初の麒麟しょっぱなから「私は剣を振るう趣味は持ち合わせていない」とか抜かすやつでしたからね。

そもそも早々に一巻で李斎と別れて敵の真っ只中の白圭宮を目指すというところが、普通の攻略ではない。スライム狩りからすぐ魔王の宮殿に侵入するようなものですよね。まあ後から考えれば、なにしろそこが一番情報が集まるし、武人ではない麒麟が、麒麟であるという最大の武器を発揮できるのは宮中だということは理解できますが……。将棋で言えば飛車や角が外からどう攻めようと考えている間にいきなり敵陣の真っ只中、敵王将すぐそばに金を一枚張るようなもんです。いやそれだけじゃない、その金をさらに敵の王将と同じ向きに置くんです。相手方からすれば合駒なんですよ。どんな将棋ですか。相手もそりゃ戸惑います。「これは味方の金に見えるが、まあ敵だろうな……」と言いながら相手方の王将が仕事しない。そしてこちらの玉将は盤面にない。すごい将棋だ。

さらに、政治戦略だけじゃない。思えば、こんなにちゃんと民のために働く麒麟を初めて観た。いや、景麒も他の麒麟も素晴らしいんだと思いますよ。六太だってきっとちょっとは仕事してるんでしょう。でもさあ、泰麒が来たら部分的一時的にではあれ州候として行政が機能してたんですよ。内政をきちんとやる麒麟初めて見た。陽子だってまだ苦労しているのに。あんな王宮内がデタラメな状況なのに。

そして、とにかく最高だったあの最後の舞台。まるで広場に集まる庶民が「バーフバリ!バーフバリ!」って口々に叫びそうなあそこですが、それでもね、私はもうだめだと思った。このまま新時代になっちゃうということもあるぞ、と。この感覚、知っている。「あ、やっぱり負けて終わるのかも?」とちらっと思ったガルパン最終回と同じです。そこまでの話の流れが、うまくミスリードを引っ張っていく。
なにしろ彼は、跪いておいて「あ、王じゃなかったかも?」という、王勘違い騒動の前科持ちですからね。むしろ、「風の海 迷宮の岸」のあの名シーンですら、「やっぱり勘違いが正解で驍宗は王じゃなかった!?」という過去作品ですら信頼できなくなるという、とんでもない展開。
オビも「そして、新たな歴史が始まる」ですからね。始まっちゃうのかー、と。でもまあなにかあるだろう、とは信じていました。なにか超越的などんでん返しを。例えばそれは使令じゃないかと思ってた。傲濫が。汕子が。ひょっとすると陽子たちが覿面の罪をなんとかクリアするのか、どうなんだ――。

違った。

もう「泰麒さん」ですよね。泰麒さんなんなんすか。ほんとわたくしも「え?なに?」と固まって動けない兵卒と一緒ですよ。この、「麒麟は殺傷しない」というのを逆手に取った行動。もう一瞬の静寂から、珠簾が引き落とされ光が満ちた瞬間に超熱い主題歌アレンジスタートですよね。
しかも、別になにか強い力を得たわけでもなんでもないんだ。血の気を失った顔で、手は震えている。人を超越した魔法でも力でもない。ただ、「麒麟という存在の限界ギリギリ、若干ギリギリアウト気味に挑戦した」、目から血が出るほど無茶をした、そんな行動で絶体絶命の窮地を切り開いた。

この泰麒の暴れっぷりを驍宗は、麾下たちはどう見たんでしょう。「さすが、戴の人間は血の気が多いわい」などと笑ってる場合ではなく、神獣ではあれ、弱き者がこれほど必死に生きている。翻って王とは、武人とは一体何だ。そう思わざるを得なかったではないかな。ここ、図南の翼の珠晶とちょっと同じ構図ですよね。小さいものが傾く国を思い昇山する。大人はそれでいいのか。

小野不由美さんは、小さいものの積み重ね、戦いの中で名もなく死んでいく民の話を書きたい、となにかのインタビューで答えていらしたそうですが、その通り「白銀の墟」は名もなき民の物語であり、そして、だからこそ麒麟の物語。かつての蓬莱の帝の言葉に「雑草という草はない」という有名なものがあって、後に記者会見で「私は植物を好んで観察するせいかもしれないが、どうもこの名前は少し侮辱的な感じがして好まないのです」とお答えになったそうですが、泰麒も
「ぼく、雑草という呼び方は違うと思うんです」
とか言いそうですよね。
ところで、なんどか出てくる「案作の時代、来ちゃったかな……」みたいなやつ、あれなんなの。面白すぎるんだけど。

驍宗と阿選

そんな、麒麟、そして民の動きを改めて目の当たりにしたからこそ、驍宗も素直に延王の前に膝を突き「泰を救うためにお力をお貸し願いたい」と言えたのではないか。いや驍宗って、私は泰麒じゃないけどちょっと怖い、もっとはっきりいうとちょっと悪いやつじゃんじゃないかと思ってたの。「風の海」のころは。あの人「私に五百年の寿命があれば、延王に後れは取りません」なんて言ってたのよ。それがまあ随分丸くなって。
驍宗さん、あの騒動でも驚いてなかったからね。みんなが、そして読者も「あの可愛い泰麒きゅんが……」と思ってたところ、一人だけちゃんと泰麒の本質を見抜いていたんだね。そういえば饕餮を下すところを唯一人、観ていた人だったのだ。
「自分でも驚いたことに、驍宗は目の前の子供に畏れを感じていたのだ」
ですよ。この黒麒を子供だと侮ってはならぬ。マジになるとすげえんだぞ、と。ちょっとビビるくらいだぞ、と。誰かを守るとなったらとんでもない根性を見せる。それを知っていたから、駆け付ける泰麒を見ても「ああ、さすがやね……」と驚きもなかったのでしょう。

そんな驍宗もスーパーですけどね。洞窟の中、祭事をやってたってところは驚いた。祭事ね。そんなの忘れてた。私が王だったら戴は滅びてますねあっという間に。そうかあ、それもあって失道はしてなかったのかもなあ。いや、阿選が新王だとするなら、驍宗は業務放棄での失道扱いなんだろうな、と思っていたから。
だから、もう穴から騶虞が出てきたって一向に私は驚かない。捕まえるでしょう驍宗様だから。そりゃ出てくるでしょう驍宗様だもん。ところで、誰かのツイートにあったけど、計都と羅睺ってヒンズー教用語だったのね。日食や月食を起こすのだそうだ。
ケートゥ - Wikipedia
月食といえば、この方のご意見が興味深い。


乍は朔か。月籠り…この騶虞の命名からして、「白銀の墟 玄の月」というタイトルからして、そうなのではないかと思わせる説得力。天照が籠ったときは大宴会で出てきただったけど、月が籠るときは自力で騎獣を捕まえて飛び出すのだな……。そう言われてみると、あの親子が流したお供えものはお月見のようだ。

一方阿選ですよ。まあ今までにも十二国記の中で偽王を狙った者は何人か出てきましたが、彼の場合は「俺ならもっとうまくやれる」じゃなくて、ただのランキング厨だったんだね。そもそも何のために王はあるのか、何を競うべきだったのか、が欠けていた。あいつより上になりたい、という思いだけが上回っちゃって。出世欲だけの人って、いるよね……。もっとも、その後あまりに無気力過ぎて、あれは琅燦になにか気力を抜かれてるのではないか。燃え尽き症候群なのか。

李斎と民

さて李斎さんです。李斎の「公は本当に李斎が舞い上がるようなことを言ってくださる」というセリフが好きなんですよね。そんな彼女のここまでの、ほんと「白銀」のもうひとりの主人公ですからね、彼女の、そこまで身を捧げるモチベーションはなんだったんだろう……と思うとこれはもちろん、戴の民を救うことでした。そのためには慶ですら利用することも厭わないまでの。そうだ、彼女はまた昇山の者であった。つまり、王として身を捧げる覚悟があったわけです。阿選が一度、「一緒に昇山しておいて驍宗が選ばれたらさー、おれは違うけど武人ならふつー、驍宗のこと恨むパターンだよなああれ。おれは違うけど」って首を捻るシーンがあって、ほんと阿選ってやつはランキング厨。李斎をまったく理解できない。
しかし波乱万丈さには泰麒に一歩も二歩もゆずるとしても、なんと激しい人生だったことか。いや終わってないけど。
「――莫迦か、あの女は!」
土匪である朽桟を救いに戻る李斎。一大クライマックスですね。講談になりそうだし歌舞伎の一幕にもなる。朽桟も、国定忠治清水次郎長、はたまた水滸伝に出てくるかのような人物。悪漢小説ですよね。里見八犬伝だったら、李斎以下、英章も巌趙、臥信も、同じ形のアザを持ち主君のために集まるのだ。

あ、さっきバーフバリと言いましたがあのスタッフが今度は幼い泰麒を背負った李斎みたいな映画作るみたいね。

それはともかく、李斎の動きは地味です。そりゃそうでしょう、おおっぴらには動けない。慶など他国は兵を動かせない。しかし隠密裡に行動しながらも石林観、瑞雲観、神農、牙門観、壇法寺…道教やら土匪やらかつての麾下やら、もうあらゆる市井の人々が李斎の許に集結し「墨幟」を形成していく……。

仏教、道教道教はまあ、ある意味十二国記の根本的な神仙思想にも近い(多分墨子に一番近そうですが。墨幟という言葉も出てきましたね)のでまだわかるけど、仏が。仏かあ。あの世界にもブッダはいたんだろうか。

琅燦

琅燦については、今のところ一番ヘイトを集めてるみたいなんですけど、ちょっとなんとも言えないなあ。興味本位のマッド・サイエンティストっぽいけど、それだけのキャラでもない。



ご意見・ご推察がいろいろ出ていますが、うーん。黄朱となると耶利、そして犬狼真君との関係が気になってきますね。でも……。なんというか、天帝以下、王、麒麟、国、民のシステムの外にいる黄朱。道教や仏教もそうか。そしてまつろわぬ人々といえばもう一つ、海客。思えば、十二国記は海客の物語でもあったなあ。このように、「天帝システム」とそれの埒外にいる人々とのもっと大きな対立項があるような気もしますね。李斎も「なんかなー、胡散臭いっつーか、気分悪いんだよなー」みたいな感じじゃないですか。女神に対して。陽子も疑問を感じ取っている。そのあたり……もっとも、今後大きく切り込んで書かれるとも思われないけど、なにかもうひとつメタな……

ひょっとすると最大の隠された問題は、
「あれら十二の国を表す名前がない」
かもしれませんね。
十二国記」という名前自体、小野不由美さんが編集部の要望で付けたとのこと。つまり本来この物語全体は名前がないんです。十二の国の民が他国をほとんど意識せず暮らしている、考えないような仕組みになっている……。

白銀の物語展開

1、2巻の感想で「話進まねーなー」なんて言ってた人もいますが、まあ気持ちはわかる。とくに李斎は山を行ったり来たりしてるだけだからね。地味といえば地味。でも、それが民目線で動くということなんだ。なにもしてなかったわけでもないし、物語は確実に前に進んでいる。決して退屈ではないんだよね。

逆に、「最後は急ぎ過ぎなんじゃないか」という人もいる。これはあれですよ、スピードコントロール。ものすごくゆっくり、あくびが出るほどのペースで情景が描写されるかと思えば、クライマックスではあれよあれよとページのめくる手が止まらない。ずっと同じテンポのダンスミュージックとは全く別の、緩急自在のリズム感。これは私は計算されたものだと思います。いつだってラストは凄まじいテンポなのよ。

あと、前から「もうあとはわかるよね?」というところはあえて書かないじゃないですか。「月の影」の最後だって、いざ偽王との対決は……書かない。そこじゃないんだ。麒麟が王の許に還る。そこまでをじっくり書く。今回は園糸に始まり園糸に終わる形だったけど。

そして後から、あの最後のページ、史書の短い記述で「ああ、そうなったのか……」とたっぷり行間を匂わせて終わる。そういうやり方を好む作者であり、作品なのです。

この長い4冊にもわたる物語が歴史ではたったの九行。ここで、歴史というものはいつだってそうだったと思い出すわけです。歴史には園糸も栗も出てこない。でも、その行間、文字間に、とてつもない人々の無数のドラマがあることを我々は知っている。
そんな物語を見てきたからこそ今となっては、数ヶ月後に阿選を討ち取った旨の最後の短い一文にすら、たくさんの人々を想起することができる。

あ、気付いてない人がいるみたいなので書いておきますが、その最後の最後に明かされる新元号は「明幟」。墨幟にしたいが新たな時代のため多少めでたいものにしておこう。暗闇は終わったのだ……これには泰麒もにっこり、李斎が泣いて喜ぶやりとりが目に浮かぶではないですか。

そして最後のページには分厚い戴史乍書のイラスト。この濃い出来事ですら九行で済ます歴史書なのよ。それがあの厚さ。どんな長い治世なのかという。そこまで示唆してくれているのです。

ただまあ……確かにあれだけの諸国連合軍も、見てみたかった。延王の「諸国が支援する――存分にやれ」の頼もしいことよ。陽子だってそろそろ剣を振いたくなる頃だろう。傲濫や汕子だって汚名を雪ぎたいはずだ。
なんなら中嶋陽子パイセンと高里要の高殺傷力コンビによるラジオ番組が始まっても一向に構いませんな。

むすびに

さすがに十二国記の読者なら長い文は読み慣れてるはず、という推定に甘えた取り止めもない雑談もそろそろにしようと思いますが、それにしても今回、山の話でしたね。大地に根差し、ある意味縛りつけられた、頑健な石造りの城と山の民。
一方で海の民というのもあって良いとは思うのよ。多分、天帝システムとはほんとに異なる文明になるけど。蝕に流されても、むしろそれが日常茶飯事、流されてもまた作ればいい、土地なんか決まってない、そんな人々。

エッセイですが、東西陸と水上の文明を比べていてやたらた面白いので読んで。できればこの先、こんな十二国記も読んでみたい。
……って、あ、これ守り人だ。上橋菜穂子さんの「守り人」シリーズが海洋国とか出てきて、山の民などと文化比較していましたね。あれも名作だから、読んで。

泰麒さん、山が好きなお子さんでしたね。まああれは逢山を思い出していたのでしょうが、「魔性の子」でもギアナ高地の山や迷宮に目を輝かせるシーンがありました。


この方のイラストが素晴らしかったので思わずメモっていたのですが、この4枚めの赤い傘、ね。
泰麒さんは、泰王をパトロンにして涵養山の迷宮を探検するといいんじゃないかな。土匪や山師の新たな職業として、地図を作って売る仕事だって作れそう。

商売っけといえば、幸運の鈴売りね。あの淵に鈴を流すと幸運が訪れる。一個50円。行けるね。お手玉まんじゅうとかも売れるね。こっちは80円ぐらい。

その後の人事予想のツイートを目にしました。李斎は瑞州州師の将軍。なるほど。まあまともとの職だし瑞州候泰麒のおそばにずっといられるので、ということでしょうね。いいと思いますが、この物語の後では、彼女には文州侯がいいんではないだろうか。今回の舞台となった州。あの涵養山に轍囲もあり数々の道観もあり。それに、隻腕だからという意味でもないのですが、将軍以上の、州の主として治める能力も価値も十分あるのではないか。

以上です!おつかれさまでした。いやあ、実に楽しかった。

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11/22訂正:文州、でした。

ウマ娘プリティーダービーの主題歌のコード進行を見てみよう!

みなさん!ウマ娘、見てますか!

というわけで、今日はウマ娘プリティーダービーOPのコード進行を眺めてみたい。以下のTOHOアニメーションご謹製動画の最初の方 "Make debut!" です。
youtu.be
あー、いいですねー……。わたくし、ガルパンとか競女とかこういう、ちょっと世界がおかしくなりつつ女子がいっぱいでてくるアニメ、だぁいすき!

まあ、ほんとのところはふと記譜ソフトをぐぐったらすぐに見つかったので試したかった。
musescore.org
はー、最近のはこれで再生もできるのね。いろいろできるんだなあ。充分じゃないですか。というわけでとりあえずTVアニメ「ウマ娘プリティーダービー」のOPを採譜してみたのです。アニメ中でダービーに勝った直後にモデルとなったスペシャルウィーク号が死ぬという衝撃、追悼としてなにかしたいと思うのが人情じゃないですか。あと数日前にはスペシャルウィークちゃん誕生日がありましたのでそれも祝って。(つまりどちらにも間に合わなかった)

需要あるかどうかわかりませんが、コード譜のPDF置いておきますね。おおむね合ってると思う。
コード譜(PDF) MakeDebut.pdf

なぜウマ娘なのか

さてお聞きいただいておわかりのようにこの曲、超難解作品というわけでもなく、とても聴きやすい、馴染みのあるアニソンって感じですよね。だからかえってそれがいいと思いました。

以前、あるカリスマ的シンガーソングライターのコード進行について話している掲示板だかなにかを見たら「さすが◯◯◯さん!やっぱりここでこのコードは誰も思いつかないですよね!天才だと思います!」みたいな空気になっててさ……。いやそれはわりとよくある代理コード……なんだけどな……。多分褒めるべきはそこじゃない。

といったように、ひとりの天才の、名曲の、秘密を探る!褒めそやす!という方向性ではなくて、むしろ普段ぼーっと聴いているような曲がどんなことになっているのか、この曲を軸にテクニックみたいなものを見ていくのもいいかな、と。細かく見ているうちに「ん?これは…?」「シェフ、いい仕事をしたな…」みたいなものもわかるようになる、かもしれない。

なるべく、音楽理論とかよくわからないひと向けに書いてみるけど、まあ……雰囲気だけ味わってもらうだけでもいいです。

調性と音程

まず全体の調性、カラーを概観しましょう。冒頭ファンファーレから始まりますが、これは調性、キーとしてはGメジャーです。
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「ん?その#が付いてるのはなに?」と鋭いあなたは思うでしょう。五線譜とかピアノとかはC中心としたキー、ハ長調が基本になってるのね。だからキーをGにしたときにはアジャストする必要がある。このFに#をつけるのがそれです。

あとで出てきますがAメロはDbメジャーです。

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「なにこれ全然違うじゃん」そう、全然違うのです。なにしろGからDbは一番遠い音程(減五度といいます)。

なぜ一番遠いのか。まず音の高さは、ドレミファソラシ…の次にド、で「元の音に戻ってきた」と考えます。厳密にはオクターブ違うドなんだけど、まあ細かいこというなや。そうすると、例えばGからEを考えると、「EはGの長6度上」(ソラシドレミ、6個)とも言えるし「EはGの短3度下」(ソファミ、3個)とも言えるのです。(なんと音程の「~度」は1オリジン、GからGは1度の音程なのです。長とか短とかよくわからないおともだちはとりあえず今は気にしなくていいです)
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だから最短で言えばGとEは短3度。では…とGの真裏にあたる、日本にとってのブエノスアイレスみたいな音というとDbになります。上からも下からも同じ距離。
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「増なんちゃらとかなにやら度とか、なにがなんだかわからなイー!」とおむずかりのあなたは、まあ大体この辺音程の呼び方についてなんか定義があんだな、ぐらいで結構です。

しかしこの、なにもかも正反対だからこそ惹かれ合うといいますか、噛み合わない二人は神アイドルを目指すのといいますか、G7とDb7みたいな関係を「裏コード」と呼んだりするくらいで、ある意味「よくある意外性」みたいな感じもします。すごく難しい漢字、という話題ですぐ「鬱」とか「林檎」が出てくるのでかえって覚えてる、みたいなものです。

だから、転調するからといってただちに「GからDbに!?すっけえ!」って話ではないよ、と。そんなに一般的でもないとは思いますが、あるっちゃあある転調。わたくしも恥ずかしながら以前そういうの作ったことある。楽譜配っても「ああ、減五度に行くのねハイハイ」と普通に演奏してくれる(ベースとギタリストは)ぐらいの感覚です。

ただ、そんな遠いところへ行って戻ってくるのをこう自然に聴かせるにはもちろんテクニックが必要です。この後もそのあたりが肝になるかと思います。

サビの進行

やっと歌が入ってきました。「響けファンファーレ」とちょっとろこどるっぽくスペシャルウィークちゃんが歌ってるところですね。
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あっ、ちなみに、この記事の音データはベースラインとかヴォイシングとか完全にテキトーよ? まあこんなコード進行というのがわかればいい、というあれであって完コピじゃ全然ないから(聞きゃわかるか)本気にしないように。

まずまだここまでGメジャー上のコードが基本骨子になってはいますが、すでにいくつか逸脱がある。

Gメジャー上のコード(ダイアトニックコードと呼ばれます)ってのは、こんなやつです。
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Gメジャースケールの上にこうして団子を重ねたやつね。M7、m7とかはコードネームというやつで和音内の構成(根音からの相対でどういう高さの音の集合か)で決まってきます。例えばGM7 ソシレファ#のファ#をナチュラルにするとG7になる。Am7とBm7は、根音(ルート)がAかBかの違いだけで構成としてはまったく同じというわけ。

下段のローマ数字は、キーの音(この場合G)から1, 2, 3…と数字で表すやり方。キーが◯◯の場合のこのコードが…といちいち言うのは面倒なのでそこを抽象化してどのキーに対しても言える性格を表そうとしている。ええ、それぞれキャラクターの性格があるんです。IM7は主人公格、V7は銭形警部でIM7を追っている、IIIm7はいつもカレー食ってる…みたいな。

さてこれでさっきのコード進行を表すと、こうなります。
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IM7は先ほども言った主人公的な性格で、これをTonicといいます。安定、正妻の余裕と言ってもいい。しかしいきなりVIIm7b5 III7 で平和がかき乱されつつあります。「ゴ~ルま、でー」のとこね。この進行はアニソンやJ-POPなどでド頻出。ちょっと切ない感が出るんですよね。2,3思い出してみましょうか、うーんと……

  • アイカツ!「カレンダーガール」のサビ「なんてことないまいにちがー」
  • Tiger&BunnyのOPサビ「オーリオンをな・ぞ・る」
  • キルラキルのOP「シリウス」の「つーきあーげたこの手に」

アイドルマスターシンデレラガールズStar!!の冒頭もそれか?と思ったけどVIIm7と5度がフラットしてないのがちょっと違う。まあ、仲間。たまたまかもしれませんが、「ここぞ」というところで使われてますね、これらは。

ピンと来ないひとはとりあえず「ゴ~ルま、でー」の感じ、とおぼえておくといいでしょう。

で、VIIm7b5はGメジャー上にあるけど、III7はない(IIIm7だったらあるのにね)。じゃあなんだこいつは、どこから来たんだという話になりますが、こういう場合、

  • なんか今日はそっちのほうがいい気がしたからm7を7にしてみた(結構こういうこと、よくある)
  • 前後を見ると辻褄が合ってる
  • 間違えた

いずれかだと思いますが、一応この場合2番めの辻褄が合ってる典型的な例です。

VIIm7b5まではGの世界なんですが、実はこやつ、元のコードでF#m7b5はEmのキーのコードでもある。そっちの世界ではIIm7b5として君臨している。まあ掛け持ちですな。Gの世界ではIII7だったB7はEmではV7である。というわけで、なめらかにEマイナーの世界に移行してしまうのです。
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VImに行く間、ほんのわずかな時間だけど転調している。こういう、どっちのキーにもあるコードを中継として別のキーに転調するテクニックはよくあるんですが、そういうコードをピボットコードといいます。F#m7b5がピボットですね。またIII7みたいに、元のスケール上のコード(この場合Em)に行くためにm7などが7化したものを「セカンダリードミナント」と呼んだりします。

ついでに言うと、わざわざセカンダリードミナントのIII7に行かなくてもいい、って考え方もある。VIIm7b5からVImに行きたいんでしょ?直接行けば?というね。G F#m7b5 Em っていうのね。こうするとベースラインがGのメジャースケールをただ降りていくという形になって、それはそれで自然な手です、はい。(将棋の大盤解説風)

で、行った先のEマイナーは、というと、これはGメジャーと非常に親密な関係にあります。Gメジャースケールを6番目から並べるとEマイナースケールになる。平行調というやつですね。
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これは、なんていうんですか、家出すると書き置きがあって驚いたが親戚の家にいた、ぐらいの、まあそんなに騒ぐことでもないか、ぐらいの感じです。

ツーファイブ

しかしこやつ、またやるのです。常習犯ですね。こんどはDm7 G7。これは明らかにCのキーでのツーファイブ。ツーファイブというのはIIm7 V7 のことで、こんな小洒落た呼び方があるくらいで、とにかく典型的な進行なのです。よく訓練されたバンドマンなら「F#m7b5からのツーファイブでEmに行って、そのあとCのツーファイブね」でこのコード進行の概要伝達が可能です。
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例えば、ゆるキャン△のイントロで、思いっきり「はい、ツーファイブでございます!」とリトルマイケルがお辞儀しそうなやつがありますね。

あー、親の顔より聴いたツーファイブ。もうこういうのって、サウンドの記憶の話だから「こんな感じがツーファイブ」って覚えてしまうといいよ。キーがいろいろあるったって、たかだか12個しかない。

次の画像は5度圏、Circle of Fifthsというこの手の話に必ず出てくる円なんですが、完全5度ずつ音程を並べたものです。
Circle of fifths deluxe 4
ツーファイブワン、といったらこの円の任意のひとつから時計の逆周りに3つ取り出して並べればいい。

Dm7 G7 C Gm7 C7 F Cm7 F7 Bb Fm7 Bb7 Eb
Bbm7 Eb7 Ab Ebm7 Ab7 Db Abm7 Db7 Gb C#m7 F#7 B
F#m7 B7 E Bm7 E7 A Em7 A7 D Am7 D7 G

...と、結局12種類しかないのがわかるでしょう。ユー、おぼえちゃいなよ。というかジャズとかやってるともう否応もなく覚えざるを得ず、ひと目でそれとわかります。

このC#m7b5はなに?

さて話をもどしましょう。ここまでのあらすじ(まだ冒頭10小節ぐらいしか経ってないですが)。

響けファンファーレといいつつGで安定していたら、Emへのツーファイブ、F#m7b5 B7 Emになった。でもこれは大した家出ではなかった。しかしその次にDm7 G7 が来た。これはCへのツーファイブだった。

Cというと、元のキーGにとっては、4番目のコードCM7。IVM7です。IVというのは主人公Iにとって馴染み深いおじさんぐらいかな。よくわかんないな。ともかく良く出てくるコードではありますし、この曲の展開は違いますが、とりあえず「サビ頭はIV」って曲たくさんありますね。例えばSHIROBAKOのOP、前半後半両方ともそうじゃないかな。のんのんびより りぴーとのOPも多分そうだな。ジャズ・スタンダードだとTake the 'A' trainとかね。まあとにかくいっぱいある。

そして、そのIVに「行くために」、IVに「いくぞ、という雰囲気を盛り上げるため」に、IVにとってのツーファイブをその直前に持ってくるというのはとてもよくあるテクニックです(IVに行くためのV7も、セカンダリードミナントということになります)。一時的にDm7 G7、つまりIVのキー(ここではC)に転調する。こういう風に、転調といってもミニマムな世界では結構みんなころころやってんのね。「転調、すぎょい!」ってそのたびに痙攣しなくてもよい。

ただ、ちょびっとであれ転調するということは、Gメジャースケールの音じゃない音が入ってきている。さきほどのF#m7 B7 ではD#がそうです。このDm7 G7だったらナチュラルなFです。D#はメロディには出てこないけど、このMake debut!ではFの音が印象的に出てきます。「輝く未来を~、きみーと」の「みー」。そりゃ印象的だよ「ちょっと変わったよ?」ということを典型的に示す音だもん。

ただこういう臨時記号を多用すると、当然メロディは難しくなりますね。ボーカルがGメジャーのフィーリングだけをずっと頭に置いてるとちゃんと歌えない。うっかりナチュラルじゃなくてF#にしちゃったりね。こういうの、採譜してるときにもよくあるね、コードの流れをちゃんと頭にインストールせず採ろうとして「まあ結局Gスケールだろ?」なんてやると間違える。「え、お前その半音聞き取れなかったの?うぷぷ」ととても恥ずかしい。でもさー、まあ人生いろいろあるよ。

で、その例になりそうなのが、そうです、7-8小節目のC#m7b5です。「Dm7 G7ときたから、まあCだろ」なんて適当に押さえると「あれ、なんか違う…」ということになる。この、微妙にあとに余韻を残すコードはなに?
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そう、これ、CM7のルートを半音上げただけの音なのね。理論の本なんかでは「構成音が似てるからCM7(IVM7)とだいたい一緒」なんて書いてあって、似てるからで済まされたら他のコードも全部似てるよ!と思うわけですが、まあそういうことらしい。馴染みのおじさんからあこがれの先輩ぐらいにはなったが立ち位置は変わらない、みたいな。

実はこの#IVm7b5、わたくし、だぁいすき!なんですよね。IVM7の代わりに持ってくると、かなり切なさ炸裂コードになる。例えば、ほんの一瞬だけどガルパンのDream Riserのサビ「破れそうなー鼓動」の「なー鼓動」のところで、ごく僅かに切ない匂いを、嗅ぎ取れるかな? 「踏み出した空に」あたりから問題のコードまで弾くとこんな感じ。

あとねあとね、GJ部のED3の綺羅々のやつ、大丈夫?ついてこれてる?ついてきてね!?この曲はBb C7 Am7 D7 Gm7 C7 F いわゆる王道進行とか逆順って呼ばれる進行を繰り返しているけど最後の最後「La Laいつかは、La La出会うよ」の直前、Bm7b5 Bb7 Am7 D7 になってるのよ。このBm7b5が#IVm7b5。この切なさだよね。この王道進行の変化はラストに一度だけ使うと効果的。

そして#IVm7b5は、IVのルートがちょいズレたやつでもあるし、トニックIの代理でもあるんだってさ。多分IVの音がなくなったのでトニック感を壊さなくなったんだと思う。ルートを半音上げるだけで、IVの代理でもあり、Iの仲間でもある、という不思議な立ち位置になるんですね。しかもキーのIからすると#IVは、そう、最初のほうにご説明した「一番遠い音」。多分主人公に「キミは、ボクだよ」とかわけわかんないこと言うタイプだと思います。

まとめると、Dm7 G7でIVの世界にちょっと転調したものの、着地点はCにも似てるしGの仲間でもある、C#m7b5だった。この外に行ったんだか戻ってきたんだか微妙な宙ぶらりん加減が、「終わったような…なにか余韻をもたせるような…」という雰囲気を作っている。学びましたね。こういう感じを出す時は#IVm7b5です。

分数コードとペダルトーン

なんだかんだ言って、結局この8小節ではほんの少し逸脱があったものの概ねGの調性感で進んでいる、ということになりました。さてその次にブラス(トランペットとかの音)が入ってきます。冒頭のファンファーレとアカペラっぽいサビを経て、ここが本来のイントロになるようなパートですね。
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わあ、分数コードだ!と逃げなくてもよいです。だいたい分数コードというのは、

  1. コードはこうだが、その構成音をベースは弾いて欲しい
  2. コードはこうだが、とりあえず関係ない音をベースは弾いて欲しい

のどちらかであって、まあぼっちな人は一人で全部の音を出すしかないから頑張ってGの音とFのコードすなわちソ+ファラドを弾くんだけれども、逆にバンドでやる場合はベース音はベースに任せたほうがいいです。特にピアノ!あんたは左手でベース音も弾いちゃう癖があるようだがベースと音が濁って(低音域はにごりやすい。ロウ・インターバル・リミットといいます)迷惑だから!なにを!?コンチクショウと大抵ベースと仲が悪い。

1の場合は転回形を指すと理解していいでしょう。ドミソのうち、ドを下に持ってくるかミを下にしてミソドにするか、みたいな話です。あと、例えば
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こんな、ベースが半音下がるだけのクリシェ(常套句)があります。スタンダードの「My Funny Valentine」とかね。アニソンでいうと…今パッと思いつくのでは、りゅうおうのおしごと!OPにも出てくるね。ガルパンOPの「根拠なんていつも」のあたりも*1。これ、コードネームをいろいろ書いてありますが、もっとわかりやすく

Cm Cm/B Cm/Bb Cm/A

と書いてもいい。というか「Cmだけどベースだけ半音階で降りて」て書ければ書きたい。まあクリシェなのでたいていはこのCm CmM7...を見たり聞いたりすれば「ああ、あれね」ということになるんですが。

ところが、2のパターンも結構ある。これは、分子のコードが主じゃないんですね。ギターやピアノは「あんたはF弾いてればいいから」と言われてまんまと思い込んで純朴にFを演奏しているが、ベースがGを弾くために、実はG7sus4になっている、みたいなことが起きる。
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Gの上に、コードトーンを載せてG7、さらに9thや11thなどのテンションをどんどん載せていくとファラド、というあたかも和音Fに見える組み合わせが出てくる。上空の音だけで天空の城みたいなことになるんですね。これを文字通り「アッパー・ストラクチャー・トライアド(UST)」といいます。

上記の例の最後、例えばベースがBなんて弾くと、つまりルートをBだと考えると、同じファラドなのに7th, b9th, #11thなんてテンション入りサウンドになる。これもUST。こういうときのメロディはFメジャーの気持ちではだめで、B7系列のスケールでないとハマらなかったりする。

逆に、ベースはずっと同じ音を弾いてるから君たち上空の民はそれに乗って上下したりしなさい、ということもある。ペダルトーンといいます。Make debut!の場合がこれです。ベースがずっとG。あるコードでは転回形と考えられまたあるコードではUSTだったりするかもしれませんがそんなに難しい話じゃない。まあG、F/G、Em/Gの場合、G, G7, G6と考えてもいいし「このへんはGミクソリディアンのサウンドで行きましょう」おっとモードの話はちょっとさすがに長くなりすぎますね、「つまりGを軸に、いろいろカラーリングしていく方針」ぐらいのざっくり感でもいいと思います。ベースは豚骨で上に載せるバリエーションが味玉入りかめんたいか角肉か、ぐらいの。こういうサウンド、ロケンローな感じでよく出てくるもんね。

オノデン

「じゃあEb Fや、あとこのイントロ最後の『じゃーんじゃーん、じゃーんじゃーん』ってロボット発進っぽいのは?」

はい、Eb, F。これらもおなじみの人にはおなじみのコード。アニソンでも昔から頻発。ちょっと年配の方なら「電器いろいろ秋葉原、オーノーデン!」といえばわかります。
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あるいはマリオとかね。ガッガッガッガガーオガイガでもいい。お父さんに聞いてみよう!きっと「ああ、サブドミナントマイナーだよなあれ」って教えてくれます。

理屈としては、これはマイナーキーから借りてきたコードです。今Gメジャーの世界だから、Gマイナーのコードね。
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前に「GメジャーとEマイナーは親戚みたいなもの」といった説明をしました。平行調といいましたが、「GメジャーとGマイナーも、似てる」というかまあだいたい同じだ(乱暴)ぐらいの勢いで、これを用語としては同主調といいますが、「ちょっとあっちから借りてきてくんないか」みたいなことが平気で行われています。

とくにマイナーキー側でサブドミナントと呼ばれる役目のやつ。まあ2階に住んでるお姉さんぐらいの距離感でしょうか。IIm7b5、IVm7, bVIM7, bVII7なんかがそうです。Gマイナーで言うとAm7b5, Cm7, EbM7, F7。これらマイナーキーのコードを、メジャーのところに使っちゃう。ここで言うとEb, Fがそうですね。一時的に短調に転調した、とも言えるとは思いますが、まあもうファミリーみたいなものです。これをサブドミナントマイナーといいます。少しね、明るい日常に差し込む哀愁みたいなところがあるんだよね。お姉さんだからね。

じゃあ最後の分数コードでロボット発進ちょっと田中公平先生っぽくも感じるあれはなにか。
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だいたい雰囲気としてはこんな感じだと思うけど、分数コードですね。まず最初の2つは、分子だけを見るとさっきのEb、Fのまんま。ただしベースが一音上になっている。この形は、さっきも説明しましたがF9sus4, G9sus4の響きになる。
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ミクソリディアン系の明るくてかっこいいサウンドになります。ベースの音の一音下から始まるドミソ、なので覚えやすいし。

そしてFから短三度上、Gからすると半音上ににいきなり転調してGb/Ab。コードの構成は同じだからほんとにただ上に上がっただけなのね。

だいたい転調って、正直ルールなんてないんです。どのキーからどこに転調するのか、いつ転調するか、もう自由。楽典を読んだひとはいろいろ言うかもしれないけど気にしなくていい。概ね転調の種類としては、

  1. 代理コードやピボットコードを使ってなめらかに、「気がついたら◯◯のキーになっていた」ように転調する
  2. いきなり転調する(昔はトニックで終止したときは可能、みたいなルールを読んだ記憶があるけど今やあんまり実情に当てはまらない)
  3. 間違えた

だいたいこんなところだと思います。結局、「その転調は今の時代、イケてるか?」だけが基準。あんまり「転調したぜ!」とこれみよがしにやりたくないひとは1にすればいい。ちょっとドキドキさせたいのなら2。

今回は2だと思う。しかもどんどん上行して「ああ、もうどうなっちゃうんだ…!」というめくるめく感もある。

なお、短三度上に転調するってわりとよくあって、(F, G) → (Ab, Bb)ってね、比較的耳が慣れてるんだよね。多分細かく考えればなんか理屈がつくんだと思う。(コンビネーション・オブ・ディミニッシュがどうとかで)

ただこのアレンジでは、Gb/AbのあとBbには行きません。上に乗っかるコードは同じく上行しているけど、注意深く聞くとベースはAbのまま足踏みしている。なにかBbに行きたくない理由があるようです。そう、AbはDbに対するVのコード。すなわち、Dbに転調したいから、という意図がわかります。Bbまで行っちゃうと着地先はFが自然になっちゃうからね。

さあ、やっとAメロ、Dbの世界に到着することができました。この分数コード群は、GからDbへのパスポートというか通路というかそういうものだったわけです。

Aメロは簡単に済ませよう

「駆け出しーたーらー」とスペシャルウィークちゃんが駆け出すところですね。
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Dbに転調してからは穏やかな、Dbのダイアトニックコードが並ぶ進行ですね。
IM7 IM7 IVM7 IVM7
IIIm7 VI7 IIm7 V7
VI7、Bb7だけがセカンダリードミナント。もともとはVIm7 (Bbm7)だったけど、IIm7に行くためにVI7 (Bb7)になったという、教科書の最初のほうに出てくるやつです。
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Bbm7とBb7の違いは、DbかDかの違いだけ。メロディーも、「いつでも~」の「も~」の音がDbではなくナチュラルのDになっている。

2ループ目は1ループ目と比べて、コード進行的にはわずかに違いがあります。F7#11のところですね。これもまあ、Fm7 Bb7のツーファイブでいいんだけれども、F7 Bb7とドミナント化してみた、というやつ*2。カラーリングの一種です。ファッションみたいなものです。メロディも「いちばん目指して」の「い」でこの#11の音、ナチュラルのBを使ってますね。こういう小技がね、今日のコーデいい感じ、はいシャッフルカラフルビューティフル。

いや真面目な話、「ここはDbだからBではなくDbのスケール上の音Bbを使うべきである!」べきである、ったってはじまらないからね。そのほうがおしゃれ、と思ったから今がある。IIm7 V7 はII7#9#11 V7にするとこういう響きになる、という新しいコーデを覚えたと思えばいいんじゃないかな。

さて、このパートは2小節余るというか足りないというか、4で割り切れない単位で次のパートに進みます。あ、ちなみにたいていの曲は4小節の単位で区切ると覚えやすい。なので楽譜もこのように1段4小節で改行します。たまに「スペースがあるから」と1段に6小節とか9小節とか詰め込むひとがいるけど、絶対読みづらい。例えば初見で演奏してもらうことの多いセッションなんかでそういう楽譜持っていくと誰かが読み間違えたりして切ないことになったりする。
また、「じゃあこの段は2小節しかないから」とずばーっと横に伸ばしたりするのも、これはわたくしの趣味かもしれませんが、NG。

  • 1段は4小節単位で改行
  • 1小節の長さは(実時間が同じなら)全体で同じぐらいの幅にする(上記の譜例はちょい短いけどソフト的にうまくできない…)

音符の幅もそうよね。長い音符はやっぱり広々と、短い音符は細かく並べる。これが逆だったりすると初見殺しの楽譜になります。

最後のAbm7 Db7は、DbにとってのIV、Gbに行くためのツーファイブ。Gb感を予感させて次へ。

最大の難所

さあやってまいりました。「勝利の女神を」のところね。
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まあ最初の4小節は、普通だ。Dbキーでいう、IVM7 V7 IIIm7b5 VI7b9、いわゆる4536の王道進行というやつですね。b5やb9は、マイナーに行くツーファイブで定番的に出てくるもの、特にIII VIには典型的。

問題はその次のEm B7。(ここからちょっとハードモードになります。読み飛ばしても良いです)誰しも「あ?転調した?」と思うやつ。これ私の採譜した音はそんなに間違ってないと思うけど、なんだろうね?ここは識者の意見を聞いてみたいと思う。
キーがDbから一時的にEmに行ってDbにすぐ戻ってくる。うーん……。

「さっきあんたが言ってた『いきなり転調』でいいんとちゃうの?」

と言われそうで、まあそれでもいいんですが、それにしてはDbに戻る部分が自然に聞こえる。いや無理矢理な転調なら、戻るところももう少し唐突感があるはずなんですよ。なにか、ちゃんと理屈があるように聞こえる。
B7はドミナントセブンスではなくDbにとってのbVII7というサブドミナントマイナーかもしれない。響き的にも納得はいく。で、EmはB7にとってのIm ?うーん……。

一応わたくしの現時点の考えでは、多少こじつけですがここの原型はBbmなのではないか。

GbM7 Ab7 Fm7b5 Bb7b9
Bbm7 F7 Db Db

これなら、DbはBbm上のIII、つまりImの代理だから、F7がBbmに解決しようとしてその代理のDbに流れた、と辻褄は合うように思う。

そしてこのBbm7 F7 が、裏のキー、そう、最初に書いた一番遠い音、Bbm →Em という転換があったのではないか……。この曲、GとDbを行き来する仕掛けだし、ここも裏コードなどに変わったんじゃないか……と思ってますが、全然違うかもしれない。ハハハ。

まあとりあえず、ここはハッとしますよね。そしていわゆる「めくれりゅ~」のところ、Bbsus4 D7も実はあんまり理屈的にはすんなり説明できない。かっこいいし体は納得してるんですけどね。頭が伴わない。こここそ、いきなり転調でもいいのかもしれないけど、なにか「ああ、そこはこういう前例がありますよ」なんていうのがあったら教えてください。

……と、わたくし的にいまいちスッキリしないコード進行を経て、Gに戻ってきます。

ラストの盛り上がり

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ここは冒頭のサビとほぼ同じですね。ですがラストの盛り上がりに向けて多少付け加わっている。これね、何度も聞いて思ったけどかなり感動的よ。ゆっくり演奏すると壮大になるし。

CM7 D7 Bm7 Bbdim はIVM7 V7 IIIm7 …と王道進行だけどBb dimとちょっとだけひねってある。これもバリエーションのひとつです。王道進行というのは誰かがネットで言い出したんだよね、ジャズ界隈だと「逆順」「4536」という言い方をするけど、基本形で言うと

CM7 D7 Bm7 Em7

最初のCM7をIIm7のAm7に置き換えて、

Am7 D7 Bm7 Em7

もあるし、最後のEm7をAm7に行くためE7にして

Am7 D7 Bm7 E7

最初だけもとのままで

CM7 D7 Bm7 E7

もあるし、前に説明した#IVm7b5を使って

C#m7b5 D7 Bm7 E7

もあるしE7を裏コードに置き換えて

Am7 D7 Bm7 Bb7

こうするとBm7からベースラインが半音階を下ってB→Bb→Aとなめらか……とまあ、組み合わせ的にいっぱいあるんですわ。そして今回みたいに

CM7 D7 Bm7 Bb dim
Am7

にした場合は、これはBb7がBb dimになった、というよりは「下降のパッシングディミニッシュ」で考えるのが普通かな。A7b9からAを抜くとBb dimになるんですわ。だから

CM7 D7 Bm7 A7
Am7 (D7)

が想定されていたと考えられます。A7はD7に行くためのドミナントね。まあ実際にはD7が出てこず、AmのあとはBm7になっちゃうんですが。こういうのもよくある。

ともあれ、ディミニッシュの響きも特徴的なので、慣れれば曲を聞いて「あ、ここはディミニッシュだ」ってすぐわかるようになります。

あとはブラスパートと同じでオノデンにたどりつく……と。ふう。おつかれさまでした。

長くなりました

なんかもっと気軽にやるつもりだったのに、こんなのゴールデンウィークじゃないと書けない分量になったなあ*3。ともかく、ここまでたどり着いた人が何人いるかわかりませんが、Make debut!を聞いてふわっと頭によぎることをだらだらと書いてみました。この間1分24秒、みたいな感じです。なにかの参考になったら幸いです。

*1:余談だけど、「マイナーメジャーセブン」というコードを知らないひとが3和音だけで説明しようとしてCmM7の代わりにEbaugを持ち出して(確かにCmM7からC抜きにするとEb augになる)余計難しくなってるページをいくつか見かけましたがなあに、全部Cmの仲間、カラーリングの一種です

*2:ちなみにII7はセカンダリードミナントではあるけどたしかダブルドミナントという呼び方があります。ほんと呼び名だけの問題なので気にしなくていい

*3:なんか疲れちゃってさ……。最初ゴールデンウィークスペシャルウィークでなにか上手いこと言おうとしてた気がする

「甘々と稲妻」第1話「制服とどなべごはん」に見る"理屈と視点"

深夜アニメは今これをみてるよ。今の推しキャラはこちら!

甘々と稲妻 プロモーションムービー ロングバージョン

おとさん中村悠一、ちゅむぎ遠藤璃菜、小鳥ちゃん早見沙織、ということで、中村悠一早見沙織というとTVアニメ「さすおに」を思い出す方も多いようですがわたくしとしてはやっぱりね、京介とあやせのね…幸せになってもらいたい…。

そしてこのつむぎ役の10歳の遠藤さん。いいね。まいりましたね。もう冒頭の「おとさん、おはよー!」で「あ、こらいかん」といったん録画を止めて、お風呂で身を清めて正座しましたよね。いやもうこれは略式ではない本式でおもてなしに来たとわかる、わかるんです。
そして超高音の「はい!」(はキッに聴こえる)で「うは」すごいな、となんだか超絶技巧のヴォーカリストのライブみたいな楽しみ方になりつつ。

どういうおはなしか

「料理もの」というククリになると思います。「クッキングパパ」みたいなね。「食べ歩き」「グルメレポート」ではない。
料理に慣れないおとさんと、とある事情から包丁を持てない女子高生と、生まれて何年も経ってないため料理をしたことのない少女のお話。
とはいえ、レシピをとにかく教えてやろうというクックパッド的な面、教育面はそんなに強くないかな。

つまり
「みなさん料理してますか」
「いけませんね、私が普段ろくなもの食ってないお前らに教えてあげます!」
「これ、食べたことないでしょう。わたしは食べた」
という感じではない。私はそういうのも好きですけどね、別にそれでもいいんだけどそういう厚かましさはあまりなくて、むしろ「誰かと、食べる」ということの状況を丹念に描いてやろうというところがあって、いいバランスです。あれだね、「秋山優花里の戦車講座」はあくまで特典映像で、ガルパン本編にはあまり出てこないみたいなもんだね。

けなげと理屈

で、第1話。いまのところニコニコ動画バンダイチャンネルGoogle playその他各種で第1話無料で見られるみたい。
play.google.com
2話以降216円均一らしいね。まあスーパーカップ超バニラよりは高いけどハーゲンダッツより安い!妥当!

これ見ているとつむぎちゃんが健気(けなげ)でね。健気ってことは、気を使ってるってことです。
「まじがる観ていい?」とか歯磨きの仕上げとかおとさんは先生らしく様々なルールを明示的に決めてるようですけど、これは規律。それとは別にお父さんに気を使っている。

「黄色のまじがるもいいんじゃない?」とかね。ピンクがない、と怒るよりもおとさんのピンチに気遣ってる。
「今日もおべんとう?」でぐずるけど、いやとは言わない。(ここで、おとさんは眠くてぐずってるのかと思ってるらしく、気づいてない)
もっとはっきり出てると思ったのは「お弁当美味しかったか」と聞かれ小さく「んー、こんくらい?」と言う姿ね。そしてちょっと気づきかけるおとさんの気落ちした姿にちゅーをする。つまりこれね、作ってくれていること、おいしくなかったといえばおとさんが傷つくということをつむぎちゃんはわかってるんだね。自分の不満よりまずおとさんを励ますことを優先している。

そしてやっと、「ママにこれ作ってお願いして」でやっと父ちゃん気づく。母が作るような美味しいご飯を求めてる。父ちゃんだってもちろん普段から娘を気遣ってるわけですが、おとさんだって…わからないことくらい…ある…。

さらにつむぎさん、「まだげんきない?」お父さんが元気がないのを気にしてる。
今回の話、おとさんが「一人で寂しい娘」においしいごはんを食べさせてあげるエピソードではあるんだけど、つむぎ視点もあると思うんだ。「おとさんといっしょに食べるのひさびさねー」おとさんに一人で食べさせちゃって、可哀想だな、というね。

それがよく出ているのが、「食べるとこみてて!」なのよ。「食べてみ!ね!?」
これはまるで、元気が無いいきものに母親が「美味しいから食べてみなさい、わたしの食べてるところ観て真似しなさいほら」と教えてるかのようですよ。母性なのかなんなのか、小さいくせにおとさんを気遣っている。

ちっちゃいけど、この子の脳にはちゃんと理屈が入ってる。もちろん子供ゆえの大きく常識に欠けるところもあるけども、自分勝手なだけではない。そういう状態を「健気」と呼ぶわけですが、それでもときに素直に言いたいことを言う。絶妙なバランスで学習されている。なかなかこうはね、できませんよ。えらい。たいしたもんだ。

理屈、というと、最近では「損得勘定」とかね、「打算」とかね、とにかく利益をいかに導くかという、もう「ストーリー」って言葉すらそういうものだとする意識高い風潮があり、それを毛嫌いして「理屈ではない、無償の愛」とか言ったりするひともいるんだけども、つまりこれ「タダで愛を提供しろよ」vs「愛は2話以降有料です」なんだけども、その間に漂う「ちゃんと計算された理屈としての善意や気遣い」もあると思う。

お父さんの「ルール」、つむぎを育てるための理屈。
つむぎの「気遣い」、おとさんを慰めるための理屈。
そして多分ことあとやってくる、小鳥ちゃんの学校の生徒として&料理の先生としての理屈。

愛、たべてる?

原作の1話、今回のアニメ第1話に相当する部分が無料で読めます。
afternoon.moae.jp
アニメとのニュアンスの違いを味わうのも楽しいですね。いやほんと、どっちもいいと思うよ。

まあ…この流れで案の定原作全巻まとめ買いして読んじゃったわけですが。

作者の雨隠ギドさんはBLや百合も得意と知って、前述の気遣い合戦も腑に落ちるところがありました。いやそういう恋愛ものって、詳しく知っているわけではないんであれですけど視線と視線の、気遣いと気遣いとが、理屈と理屈が、ストレートな欲望にまぎれて交錯する、もう心理戦情報戦になる側面あるじゃないですか。複数の人間ドラマが込み入った人情噺。そういうのが得意なひとが料理を題材に書くとこうなる例、みたいな。なるほどなあ。

そしてやっぱり、この作品は最初に書いたように「みんなと食べると美味しい」というイデオロギーのもので、これは「孤独のグルメ」の
「いや、別に一人で食べたって、メシって旨いですよ」
食べるってのはそういうことですよ、むしろ一人のほうがしみじみ、旨い。という概念とは真逆のものです。

大体ね、私は孤独のグルメ側なのね。「愛、たべてる?」「たべてまてん」系。というかね、正直に言えば嫌いなのよ「みんなで食べれば(どんなものでも)おいしい」→「そうでなければ絶対不味い」みたいなあれ。例えば忙しい仕事中立ったまま一人齧るおにぎりだって、「よし、腹にエネルギー入れておくか」「やったるで!」状態で気力が充実してればべらぼうに旨いんだけど、事情も味覚もおかまいなく「あらかわいそう」「ひどいわねえ」で引き潰していく、あの、かわいそうハラスメント?赤ちゃん警察?あれみたいな感じがしてたわけです。

しかしこの作品は違うように思う。これは第1話ですでにわかるんだけど、標語的に無反省に「みんなと食べるとおいしいね!」を取り入れるのではなくあえて「一緒に食べられない存在(母)」を置くことで「みんなで食べるってどういうことか」に踏み込んだりしていて、あともちろん「こう作れば美味しい」という理屈があって、こういうのは好きだな。

多分食事ってのは「人間がうっかり内省的になる瞬間」なんだろうと思う。ニーチェ

大きな苦痛こそ精神の最後の解放者である。
この苦痛のみが、われわれを最後の深みに至らせる

もきっとそういう路線なんだと思うけど、お腹が痛い時に「お腹が痛いと考えている自分のことを考えている自分のことを…」みたいな、要するにトイレが一番哲学的になれるってのと似てますね。

油断すると食べ物、味覚、体調、食ってる自分…と生き物としての自分に向き合っちゃう。だから、孤独のグルメのようにあまり食事のことについてひとりで考えるのは、危険なことなのかもしれない。「あーそういうのやめやめ!楽しくやろうよウェーーイwwww」って軽くやり過ごしたほうがいいときもあるだろうけど、無言で共感する仲間がいてもいいよね、っていう。「なんだお前も下痢か」「さっきのなにかやばかったんですかね」みたいな。いや別に甘々と稲妻に腹痛シーンなんてないけど。どうしてこうなった。「さっきの美味しかったですね」「そうですね」と書くべきですねすいません。

深淵の食事を見ているとき、深淵もまたご飯を食べるこちらを見ているのだ。


ともあれ、この先、ただ料理を披露されるだけでもなく、おとさんの調理技術、つむぎちゃんの理屈、小鳥ちゃんの世界、が育っていくのを我々は見守ることになると思います。楽しみです。

www.amaama.jp

ガルパン劇場版 短感・学校の友達について

ガールズ&パンツァー劇場版カレンダー、追加販売してくれないのかなあ……。

というわけで、またしてもガルパンですが、ネタバレを含むちょっとした思いつきを忘れないうちに書いておこうという主旨です。

ガールズ&パンツァー劇場版 2016カレンダー 壁掛け A2

ガールズ&パンツァー劇場版 2016カレンダー 壁掛け A2

追記:今日舞台挨拶されにまた観てきたんですが、「学校の友達」じゃなくて「学校の友人です」だったね!!!!直そうにもタイトルにしちゃったからなあ。あちゃー。まあ主旨は変わらないのでそのままで行こう。

転校です!

今回は、あの転校周りのところ。
まずあんこうチームをはじめ大洗女子のみなさんはどこに転校するのかな?という、まあ別にわからなくても一向に構わないのですが。
ウサギさんチームはやっぱりサンダースかな、とかね。まあそれはそれで想像するのも楽しそうですが。

廃校になるアニメは多いですけど実際どうなるんですかね。私がここ数年みていたなかではTARI TARIぐらいですかほんとに廃校になったのは。どうだったかな。あ、関係ないけど、「アニメタイトル 最終回」とかでググると、その日付が出るのね。知ってた?
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まるごと同じどこかの学校に…は人数的に無理だろうから別れるんだろうけど、離れ離れになるわりにはみなさん淡々と親に判子もらいに行きますよね。沙織さんあたりが「えーみんなどこにするの?できるだけ同じがいいじゃんー」とか言うはずで、あんな余裕で「おばあのところに行かないとねー」なんて言ってられないと思うのだが。

それとも強制的にすでに学校は決まっていたのか。誰が?県立だったらなにか偉い人が手配する?うーん。例の文科省の役人が手回しよく、戦車道なんて微塵も配慮せずに割り振ったりして、それはそれで一悶着あるだろうなあ。

あ、転校先は決まっていないけど廃校になったので転校するぞ、というのは必要ってことだったのかな。画面でも転校先までは書類上見えなかったよね。(もしかしたら書いてあった?)
そうでないと、まほが書類を見た時点で「こんなところに行くくらいなら、もう黒森峰に戻ってきていいんじゃないか」とか言いそう。

おかあさんです!

さて、西住家ですよ。判子を貰いに行くだけなら、返信用封筒も同封して郵送してお願いするほうが安上がりだよね。まあみほの場合、勘当した娘じゃ素直に押してはくれないから仕方ないか。「あなたはもう西住家の者でもなんでもない」とか言うんじゃないかあのお母さんは。

あっ、ここまで書いて勘違いに気づいた。プラウダ戦で「勘当を言い渡しに」行こうとするんでしたね。ということは、一応それまでは娘扱いなのか。じゃあ仕送りもしているのかな。その上で、あのころは「もうお前を西住家の一員としておいては、家名に傷がつくから縁を切るぞ」と。その後有耶無耶になってるのかな。

ただ、いきなり対面しては「お前は戦車が嫌だといってこの家を出て行ったのにおめおめと帰ってくるとは」と説教なり塩撒くなりせざるを得ない性格を知ってるからこそ「学校の友達です」とまほは方便を言い、勝手に代筆して判子を押したのだろう。

少なくともなんのわだかまりもなく、おかあさんにも挨拶していきなよ、といえる間柄ではまだなさそうです。

クラスメイトです!

ただお姉ちゃん、その後「大洗」と書かれたみほのおみやげをそのまま渡すあたり、母の「喜んで迎えるわけでもないが許してないわけでもない」という心情を見越してますね。嘘を突き通すわけでもないんだ。このあたりの無言の劇。いちいちセリフで表すよりずっと良かったと思います。

さてこのあと、西住まほの「学校の友達です」が嘘じゃなくなるんだな。さて妄想行きますよ。

「西住まほを大洗に転校させたのは、西住しほではないか」

多分、映画を素直に見ると、角谷杏→ダージリンで情報が伝達され「秋の日のヴィオロンの…」になるんだと思います。
そしてまほがその知らせを受け真っ先に駆けつけた、強引に転校したのもまほの独断、という風に考える人も多いようですが、わたくしはここでお母様が一枚噛んでいると考えてみたい。違っててもいいや、そのほうがかっこいいから。

だって母の印が必要なんでしょ?だったらみほだけじゃなくまほの転校であっても、西住しほの承認が必要なはず。しかもお母様は大洗女子学園生徒会長と結託して今回の試合をお膳立てした張本人のひとり。彼女は、長女を呼び寄せ、こう言ったと思うんです。

「大洗が大学選抜と試合をすることは聞いているわね」
「はい……」
「世間では西住流対島田流などと騒ぎ始めているわ」
しほはため息混じりに机の新聞に目をやります。
「つまり、これはあの子だけの問題ではなくなっています。私は西住流家元として、西住の名を守らねばならない。わかるわね」
「……」
「西住流の後継者として、あなた、大洗に加勢なさい。相手は島田流……あの子だけでは心許ないわ」
「え……お母様、それは……」
「すでに転校に必要な書類は揃えてあります」
「……はい!」
「まほ……『学校の友達』は大事になさい」

はい、ときっぱり頷く西住まほの表情は、母がそれまで見たこともない輝きに満ちていたという。(完)

ガールズ&パンツァー劇場版 オリジナルサウンドトラックを聴こうじゃないの(後半)

「華さん、食べてるけど食べきれない感じで箸を進めてください!」「や、やってみます」
さて、こちら前回の続きです。
head.hatenadiary.jp

浜口さんインタビューなども参考にしながら、ガルパン劇場版サントラの音楽そのものや、ときに音楽が伝える別バージョンを想像して楽しんでみよう、という趣向です。えーっと前回は「学園十色です!」まででしたね。さあ役者がそろって、いよいよ戦闘開始です。

ガールズ&パンツァー 劇場版 オリジナルサウンドトラック

ガールズ&パンツァー 劇場版 オリジナルサウンドトラック

Disc1(続き)

18. アンコウ干しいもハマグリ作戦です!

例の作戦会議、そして遊園地に向かうところで使われていたようです。あそこさ、会長の福圓さんリアルな干しいも食べながらの演技が巧すぎて「アンコウ干しいもんまぐい作戦でいいんじゃない?」とよく聞こえないんだ。茨城のアンコウ干しいもは知ってるけどハマグリ?と思ったら鹿島灘ではハマグリも名産らしいね。

鹿島灘ハマグリは汀線蛤(チョウセンハマグリ)をブランド化した名称です。 一見、外来種と思われるかもしれませんが、日本古来の純国産ハマグリです。

鹿島灘はまぐり(大洗観光協会 よかっぺ大洗)
汀線=波打ち際ってことね。大洗のマスコット、アライッペの鼻もハマグリだった。

さて曲は、浜口さん曰く「大きな違いでいうと、今回の楽器編成では、シンフォニックサウンドには欠かせない楽器のホルン」を冒頭から使ってますね。やっぱり遠くに聴こえるような音、ということでユーフォニウムより雄大な感じが出るのかしら。ここの1:00付近のメロディ、ちょっとガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」に似てるね。(4:13あたり)
youtu.be
重苦しい曲だけどあんなふうにコミカルでもある会議に使われるあたりがガルパンらしさを象徴しています。

19. まるで西部戦線みたいだと優花里さんが言ってます!

このタイトル、多分一生忘れないわ。そうかー、言ってますかあ…。仲良しですなああんたら。
これは30台の戦車が美しい直線の軌跡を残しながら行進してぐーっと俯瞰しながら西住大隊長に近づいてくるあたりですね。ほんと雄大だし、あの、IV号1台だけで「これで、いけるかも」って言ってたところからここまで仲間が増えた、と思うと感慨深いものがあります。ラジオで渕上舞さん、「今度はね、大隊長になったんだぞ」って自慢してた。かわいい。

これも戦車道行進曲モチーフが使われてます。そうそう、TVシリーズでは使われなかった戦車道行進曲のイントロを活用してみた、みたいなこと言ってますね。たしかに「どん、どどん」要素が重なってる。
0:50からはストリングスで戦車道行進曲モチーフの変奏になります。華美な装飾を施してあって。「ドミソー、ソッドソー」だったのが「ドレミファミレソー、ソッドソー」だって。
この、元は同じメロディが姿を変えながら発展していく姿は、素朴な炒めご飯がヨーロッパでピラフ、リゾットやパエリアになるような、また一方ではチャーハン、またジャンバラヤ、炊き込みご飯と発展していくようなもんです。作戦会議での「フィッシュ&チップス&ビネガー作戦」とか「グリューワインとアイスバイン作戦」もそのあたりの人類の食の発展に敬意を表したやりとりに違いなく、混成の大部隊にふさわしい曲でありましょう。(まとまった)

あ、そう、「ガルパンの曲って、どれも似たような曲だなー」と思いつつあまり意識してなかったひともいるかもしれませんが、実は同じモチーフが展開されてるんですね。(こういうの、劇伴などには結構よくある) この後もまだまだ、戦車道行進曲モチーフは他の姿に発展していくのです。

20. ジェロニモです!

カチューシャことカッちゃんが、今度はジェロニモと呼ばれつつ頑張るシーン。自動車部って「観覧車先輩」とかちょっと他のチームにはないマイペース感というか、面白い煽り属性あるよね。

この曲大好き。作曲家って、まあプロなら当然かもしれないけどすごいなあって。西部劇の音楽作って、って言われて(まあ過去作を調べて参考にしたりはするんだろうけど)ぱっとできるんだ。伸ばし気味で5度ジャンプを多用したメロディと「ジャッジャッジャッ」の和音、ホルンの「ぱぱぱぱーぱぱぱ」で西部劇になるんだ…。ここも、もっとむちゃくちゃな戦い方をもっと見たかった。荒野を疾走するカッちゃんと自動車部とエリカの戦車たち。

21. 待ち伏せします!

知波単です。「待ち伏せ」といえば昭和のひとなら石川仁美とか松任谷とか出てくるんでしょうがまあ本来はこういうものだった。もうここへ来て明らかですね、この和太鼓と拍子木を知波単のテーマにしようと。あんまり和風を強調しすぎると清酒のCMっぽくなってしまいますが。

22. 知波単、新たなる戦いです!

先ほどの待ち伏せは打楽器だけでしたがメロディが入ってきた。「知波単学園、戦車前進!」のメロディですね。ガルパンの面白いところは、極端に暗く作るとかえってギャグになってしまうという。後ほど出てくる「決断します!」の悲劇的展開と好対照です。

23. 好敵手です!

大学選抜側の作戦指示シーン。ちょっと忍者っぽいですよね。なんか、西住流は武士っぽいんだろうけど、西住流-島田流が伊賀忍者vs甲賀忍者みたいな感じもある。この、クラリネットが奏でるメロディ、「孤高の戦車乗りです!」と同じですね。気づいてた?あっちはピアノ・ソロなので随分雰囲気違うけど。
0:56あたりから、やっぱりこっちはこっちでかっこいいんですよ。相手チームにも必ずかっこいいところを用意する。それがガルパンだから!
レ、ミ、ファ、ソ、ラ、ソ、ファ、ミの伴奏もちょっとマイルスっぽくてかっこいい。

24. 長距離砲です!

で、でたー!7.5倍とも75倍とも言われるカール自走臼砲ですね。使われたのはあさがお敵襲と大洗包囲のところだって話ですが、でも曲的にもタイトル的にもこれカール発見の気持ちで作ってるよね。結局映画では「挟まれそうです!」と入れ替わって使われたんじゃないかな、想像ですが。
「もうとにかくでっかい、戦車というより大砲なんですよ、とてつもない。それが茂みの奥でずどーんと発見される感じでなんだありゃ感出してください」なんて発注だったんだろうか。よく表現したものだと思います。チリチリ、ちりめんヴァイオリンに主旋律バストロンボーン、ホルン、トランペットなど金管楽器のダークサイドを全面に出して。

25. 挟まれそうです!

劇場版本予告で死ぬほど聴いた曲ですね。GloryStoryに続くようにもう耳ができている。
こちらがカール発見のときに使われているらしい。ああ、確かにあの無人で装填してるところの禍々しさに合うようにも思います。
他の曲より三連符を多用している印象が強い。0:24のトロンボーンによる「ずばばばばば」とか。2の倍数系のリズムに別周期の3で割ったリズムを入れて乱し「不測の事態」を演出していますね。曲としてはやっぱり戦車戦で予想外の展開になったあたりを想像していたんじゃないかしら。
低音のメロディはDFEbD, CBCA。Dのコンディミかな。まあ平たく言うと緊急地震速報みたいな不安定な和音です。

26. 無双です!

このイントロのホルン乱舞な感じ。恐ろしい無敵兵器につきものの音楽ですね。T28の登場の印象が強いけど、メロディは「孤独の戦車乗り」「好敵手」モチーフだ。1:15とか、ところどころメジャーに転調したりして、ちょっとヒーロー側にも聴こえる。今度はありすみほのボコ連合を期待してしまう。この曲に乗って助けにきたら相当頼もしいぞ。

27. 決断します!

最大の泣き所。もうすべて申しますまい。「プラウダのために!」
このシーン、そしてカチューシャについては稿を改めて考えてみたい。
曲はロシアのクラシック風とのこと。個人的にはアランフェス協奏曲を思わせるような哀愁を感じてしまうけどこれはマイルスの聴き過ぎ。終盤の太鼓連打が、もうのっぴきならない切迫した状況を感じさせます。

28. 劇場版・緊迫する戦況です!

TVシリーズでも、日常や序盤の代表が「戦車道行進曲」、決戦の代表がこれ、そして勝利の代表が「アンセム」だったわけですが、いずれも戦車道行進曲のモチーフなんですよね。この曲では短調に変化している。
もう、今までのいろんなシーンが目に浮かびますよね。急に方向転換するIV号をまずイメージするなあ。決勝戦かな。
ストリングスが「チキチキバンバンチキチキバンバン」言ってるところも緊迫感を煽ってきて、これはノンナが「あと一輌…」って言ってる。
しかし今回の劇場版のすごいところは、このバミューダアタックのシーンよりもさらに緊迫した試合になるところよね。

29. 冷静に落ち着いて!

「卵の殻の上を歩くような」という形容がありますが、無言のダンスシーン。かえって静かに聴こえる。超信地旋回ってほんとすごいね。あのみほのドリフトが効かない。次元の違う戦車なんだ、ってことを動きだけで理解できる。
アズミが「しまっ…」みたいに振り返るところもすごく印象深い。あの華さんの肩に手を置いて不安定な態勢から撃破するところ。まさに「冷静に落ち着いて」。沙織さんだけは「お、落ちるぅ~」とかしがみついていそうだけど。前の方に座ってるし。

これも「戦車道行進曲」モチーフなんだ。BEB~、CFC~, C#F#C#~と半音上行で緊迫感を煽る。キーが元の戦車道行進曲Fの裏コードBなんだね。後ろの「ピキピキピッ、ピキピキピッ」とモールス信号みたいな音も。

30. ヴォイテク

実在のポーランド軍にいた熊らしいね、ヴォイテク。イメージが固定し過ぎた戦車道アンセムを変えてきた。ついにチャーハンがひつまぶしになったっていうか、いやごめん比喩がうまくなかった。もっと壮大な感じなの!
いや、感動的にアレンジされている。同じ曲なんだけど、全く別物のようにも聴こえる。こういうのがアレンジを楽しむ醍醐味ですなあ。

1:10あたりからの、メインのメロディから少し離れて、ホルンの気持ちになって裏のメロディを追いかけてみよう。こちらもいいメロディなんだ。
そして本領は1:30からの、CM7 Bm7 Am7 Gかな、ちょっとアレンジされてるかもしれないけど4321のコード進行。これね、数々の泣かせ系で使われてきた由緒正しい切ないコード進行なんだ。大好きだ。
サクラ大戦4のラスト、米田さんが「咲いて散る、桜の花。サクラ大戦かぁ…」ってつぶやくような慕情があるよね。わからないひとは太正時代のひとに聞こう!翻訳するとラストで実は歴戦の勇者だった麻子のおばああたりが喜ぶ西住姉妹らを見て「やれやれ…ガールズ・アンド…パンツァーだねぇ…」なんてしみじみつぶやくようなもんです。

31. 劇場版・乙女のたしなみ戦車道マーチ!

劇場版ではサンダースが戦車を返却するところですか。あそこ、もっと時間があれば感動的になったと思う。戦車への愛着みたいなのも回想シーン入れたりしてね。そして再開、っていう流れだったんじゃないかなあ。
というわけでこの曲で1枚目はおわり。CDの構成として、最後は明るく締めたかったのかな。あ、そういうのはあると思うんです。ただ劇場版に出てきた順というわけではなく、サントラCDという商品として、こういう順番で聴いてほしいというのは。今だと1曲ずつピックアップできちゃうけど。

Disc2

01. おいらボコだぜ!

2枚目いってみよう!唯一のボーカル曲ですね。作詞が脚本の吉田玲子さん、作曲が水島監督だという。監督、こういうコミカルな音楽好きだね。ちょっと西部劇的でもある。場末の遊園地、っていうのになんか思い入れがあるんだろうか。そういえば、あの最後の戦場、初回に見た時ボコミュージアムかと思った。まあそうだったらみほさん戦えないだろうけど。
作曲ってこういう場合どうするんだろう。浜口さんところに適当に歌ったテープが送られるとかなのかな。詞先…いや曲が先のような気がするなあ、実際はわかりませんが。
歌は藤村歩さん。メグミ役や、イカ娘では栄子やってたひとですね。セリフを挟んでだんだん逸脱していくのがいい。おっと、劇中島田さんちのありすが歌うのも良かったですね。あの、「隊長が歌い出した!」で全体的にコミカルな気もするけどツッコミようがない感じ。それがガルパンだから!

02. Sakkijarven polkka

出ましたよ、カンテレの演奏。この曲人気あるなあ。ちょっと(楽器はアナログだけど)他の吹奏楽、オーケストラ曲より固定の刻みで音色含めエレクトリック感があるので、デジタル世代が一番ほっとするのかもしれない。
もちろん劇中の継続高校無双が最高に良かったのもあるでしょう。能登麻美子も実にかっこいいし、ミッコもスーパードライビング。「天下のクリスティー式なめんなよ!」はしびれましたね。履帯がなくても爆走できるんだ、という純粋な驚きとともに。
カンテレ、5弦から39弦までバリエーションがあるらしい。ミカのは10弦ぐらいに見えたなあ。冒頭のところで、弦がところどころ錆びているように見えるのが細かいと思った。この演奏では各弦をミュートせずサスティーンしてるね。そういう奏法なんだろうなあ。

このカンテレ奏者あらひろこさんが、ブログでガルパンに触れています。
KANTE-Letter - kanteleの記事一覧

カンテレを弾くのは継続高校のミカさん。カンテレを弾く指の動きなども、ものすごく正確に再現されています!

いやあ、演奏内容も素敵でした。考えてみると、こういう楽器、こういう曲を探しだす可能性もインターネット時代ならではなのかもしれない。一昔前なら専門家でもない限りそこまでアニメスタッフが調べきれないでしょう。

曲は後半、2:11あたりからヴァイオリンとも絡み始めて、このヴァイオリン側のメロディも聴きどころよ。ちょっと、ジャズヴァイオリンのステファン・グラッペリっぽくもある。伝説的ギター奏者ジャンゴ・ラインハルトと共演してるやつね。
youtu.be
戦闘最期にミカが、「それではみなさん、幸運と健闘を祈ります!」で締めるけどあのシーンその直前の撃破してほっとした顔からぱっと切り替わるので、もしかしたらミッコか誰かの一言があったのかなあ…などと思ったりもします。

03. 雪の進軍

秋山殿とエルヴィンの偵察の歌が、豪華になって帰ってきた。イントロにラッパ(ホルンやトランペット)の音が出てきますが、わたくし、おじいさんが軍隊のラッパ吹きだったんだそうで、そういえばトランペットが最初に買った楽器だったなあ。まあ関係ないですが。
ラッパの音を「トテチテタ」などと呼びますがこれ、音符と一対一対応してるのだそう。ラッパはピストンがないので低い音からドソドミソ…しか出ない(倍音列といいます)。その音を「ドトタテチ」と名づけて覚えろと軍隊では指導したらしいですね。だからこの雪の進軍イントロのメロディは「トタテタテー、タテ チチテチテー」になるんだと思う。覚えやすい、のかもしれない。

メロディもペンタトニック(ドレミソラ5音しかないスケール、ドレミファソラシドの4番目と7番目がないので「ヨナ抜き」ともいう)に乗ったシンプルなものです。だからなのか、これ耳に残るんだよね。映画見たあと「ゆきーのしんぐん」って口ずさむことがあった。

アフリカなどでもペンタトニックを使った音楽は世界にたくさんあるのに、日本風に聴こえるのは不思議だなあ。音の使い方なんでしょうが。そうそう、ペンタばっかりといえば演歌ですがこれは1960年台、かなり最近の発明で別に古くからの日本人の心、ってわけでもないっちゅう話ですね。そういえば織田信長伊達政宗津軽海峡冬景色とか歌わなそう。

04. アメリカ野砲隊マーチ

アリサの「キターーーーッ!」だよね。実に派手で頼もしくて、アメリカン。0:54、サビからリタルダンドして変化をつけたりするか…とおもいきや、小太鼓から木管に持って行ったのね。まあそうしちゃうと「星条旗よ永遠なれ」になっちゃうか。

05. Home! Sweet Home!

劇中ではダージリンたちが電報で連絡している試合前夜で使われています。タイトルからして、エンディングとして当初用意したのかもしれない。だから、やっぱり「希望の光は絶対にきえません!」が浜口ワールドでは試合直前のドラマすべてなんだ。…と思う。
piece of youthも素敵曲だけども、ちょっとこの、波間に漂う大洗女子学園艦を、この曲に合わせて想像してみてもいいんじゃないかな。
そして同時に、西住まほみほの実家も。他のメンバーもそれぞれ家に帰っていく。そんな演奏だと思います。

06. When Johnny Comes Marching Home

T-28が出てくるところですね。もどりなさいローズヒップ
浜口さん「これはアメリカ民謡なので、TVシリーズのパターンでいうとアメリカ的な学校のテーマになりそうですが」大学選抜は米軍のパーシングが主体で、つまりサンダース卒業生がたくさんいそうなチームでした。
この曲は「塀の中の懲りない面々」が特に印象にあるなあ。ジョニーが凱旋するとき。勇壮だけどちょっと暗いんだよね。アメリカ野砲隊よりも大人だ。でも、悪役ではないよね。

07. パンツァーリート

さて長く続いたこの鑑賞会もいよいよこれでしめくくりです。
ほんと戦車のためにあるような曲。黒森峰だけじゃなくて、特別編成大洗女子の象徴になっている。これ劇中で使って欲しかったなあ。合うシーンないけど。あったとしたら、もうこのアレンジは進軍とかじゃなくて凱旋だよね。30台の戦車がパレードしているよね。

パンツァーリート、Wikipediaを見ると元は漁師の歌で、戦後も歌われていたそうだけど「ドイツ連邦軍の歌集に親衛隊の歌が収録されているのは」どうか、と削除された曲だとか。

2006年、ドイツ連邦軍参謀総長が来日した際、自衛隊の音楽隊はこの歌を歓迎会で原語の歌唱付きで演奏し遠来の賓客を驚かせた。その後、陸上自衛隊音楽隊では「パンツァーリート」を演奏する伝統が生まれた。第1師団の音楽隊や、東部方面音楽隊がこの曲を定期演奏会で何度か演奏した。
この歌はドイツ以外の国の軍隊にも採用され、一例としてフランス陸軍の第501戦車連隊は行進曲として、また同国の外人部隊は「Képi blanc(ケピ・ブラン)」という軍歌のメロディーとして用いている。

パンツァー・リート - Wikipedia

これで思い出すのは、前回触れたガルパンのオーケストラコンサート。指揮者栗田博文さんがこの曲でみんなに手拍子を要求したの。
聴衆がおずおずと、そして次第に手拍子が熱を帯びていった。これね、指揮者さんの「いい曲じゃないですか、楽しみましょう」って言ってるような、ガルパンそのものも「良いアニメなら遠慮無く、いいぞって言っていいんですよ」と言われたような、気持ちのいい出来事でした。

おわりに

まあラブライブとか歌メインのものはもうとてつもない人気でしょうけど、ガルパンTV版もアニメサントラとしてはかなり突出して売れたそうです。いややっぱり、いいもんなあ。音楽CDとして楽しめる。そして今回は劇場版のサブテキストとしてもいい。いい買い物しましたと思います。大事になさってください。

いや他のアニメのだって、いいものはたくさんあると思うんですよ。モチーフ、テーマをどうアレンジしていって、どう音に表そうとしたか。大体感情をコントロールするのに、絵や動きの演出や声優さんだけでなく劇伴って相当に重要です。そのメカニズム。さらに、劇伴といえどもその中だけで様々な楽器やメロディ、リズムがもうひとつのドラマを作っている。実に楽しみ甲斐のある世界です。
楽しみましょう。

ガールズ&パンツァー劇場版 オリジナルサウンドトラックを聴こうじゃないの(前半)

ガールズ&パンツァー劇場版、観てますか。とりあえず私は5回、まあ週一のペースですね。ささやかなものです。

ガールズ&パンツァー劇場版を見た感想です! - head's blog
前の感想のあともいろいろ思いついたのをメモしてるのですけど、それはまたいつかまとめるということで今日はひとつ、サントラを聴こうじゃありませんか。クリスマスだし。

ガールズ&パンツァー 劇場版 オリジナルサウンドトラック

ガールズ&パンツァー 劇場版 オリジナルサウンドトラック

このジャケット絵、サックス警察としてちょっとだけ言わせてもらうと華さんちょっと上のほうぐちゃっと握りすぎだし右手見えないはず、ついでに秋山殿のチューバのマウスピースに向かう管が浮き過ぎとかあるんだけど彼女たちは吹奏楽道は選択していないのでそういうのは京アニにまかせてよし!かわいい!OK!

でも、車長みほが指揮は当然として操縦手の麻子が全体のリズムを担うドラム、低音を支えるのが装填手秋山殿、メロディの花形サックスが砲手の華さん、遠くまで聞こえる楽器トランペットが通信手のさおりん、と納得の構成です。

もうひとつの「ガールズ&パンツァー劇場版」

中のライナーには、作曲、アレンジを担当した浜口史郎さんのインタビューが書いてありますね。なかなか興味深い。特に最後の段落、

音楽先行で作業をした部分が多いので、映像と一緒になるのが非常に楽しみです。

はいみんな注目!業界の裏方的なことはSHIROBAKOで観たぐらいにしかわかりませんが、映像より先に音楽作ってるんですね。つまりよ、このサントラは監督からの発注を元に、浜口さんが頭のなかで展開させた「劇場版」なのよ。

水島監督が「やっと2時間に収まった」みたいなことツイートしているし、カットされたところも見たい、ガルパン劇場版のディレクターズカットが見たい、なんて思うじゃないですか。確かに見たいんですが、まあBDなどで出たらすごいけども…という夢に近い。でもこの音楽は、今映画館でやっているのとはちょっと違う、ある時点での監督の考えを浜口さんが実装した「浜口バージョン」みたいなものなのよ。現時点で我々が手にすることができるもうひとつの「ガルパン劇場版」。

このあと、「最初はこのシーン用に発注したんだけど、この曲はちげーな、こっちのシーンに合うな」なんて当然ながら監督は編集していったはず。実際、2ちゃんねるでどの曲がどこで使われてるか頑張って調べてくれたファンがいるみたいだけど、これ見ると「大洗・知波単学園連合で勝利を目指します!」なんてCDでの曲順は前の方だけど映画ではずいぶん後の方で使われてるみたいだ。
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/anime2/1449668871/338

というわけで、ライナーや上記情報なんかも参考にしながら、音楽そのものや、ときに音楽が伝える別バージョンを想像して楽しんでみよう、という趣向です。

Disc1

01. 劇場版・戦車道行進曲!パンツァーフォー!

タイトルロゴのところで使われて、声優さんたちが「ほんとに映画になったんだー」ともう感激しちゃったという、ガルパンを代表する曲です。

そう、このダッ、ダダッ、のイントロ、バンダイビジュアルのCMではよく耳にしたけどテレビシリーズでは使ってなかった。出だしをカットして0:15の4度重ね和音からですよね。ほらあの、4話の三突が薬局の陰から砲撃成功するところとか。これも上手いカットだと思った。4度重ねって昔のロボットアニメからある、こう、ちょっとそびえ立つ艦橋とか、身長57メートル体重550トンとか、あるいは作戦成功というか、「さておまえら、ここから本領を発揮するぞ」の合図だと思うのね。俄然あそこから楽しくなるじゃないですか。これは、「ダッ、ダダッ」から始めちゃ出てこないフィーリング。

そしてもう何度も聴いたこのメロディ「ファ、ラ、ドー、ドファドーファ、ドーレドラソー、ドソードラ、ファーソラドー」ですが、フルート(ピッコロ?)で可愛らしく、このへんがガールズ感出してる。桂利奈ちゃんみたいな「ちっちゃい子」のイメージ。トロンボーンもちょっとのんびりした、とぼけた味が出ますよね。

ついでに言うと、メインのメロディを飾るように、あるいは裏に隠れるようにいろんなメロディがあるでしょ?副音声みたいな。副旋律っていうんだけど。耳のピントをちょっと違うところに合わせると聞こえてくる。これがね、泣かせるメロディだったりするの。DreamRiserなんて、そこがいいんだから!なぜかオネエ風になってしまったが。

02. Enter Enter MISSIONです!

11/3に東京フィルハーモニー交響楽団ガルパンの曲を演奏するコンサートがありました。聴きに行きましたよ。一番聴きたかったのは「戦車道アンセムです!」ね。これさえ聴ければ満足だと思っていた。
そしたらあんた、予想通りアンセムで最後(アンコール除けば)かと思ったら、指揮者の方が楽しそうにちょっと早いテンポでEnter Enter MISSIONのオーケストラアレンジを演奏し始めたの。
www.animate.tv
これが感動的でさ。ちょっと涙が出た。いや、正直ね、こういう明らかにポップスのコード進行、リズムの曲ってオーケストラでやると、なんていうのか、「ジャスコ感」が出ちゃうんじゃ…と思ってた。ジャスコの音楽もいいんですけどね、フォローしますが、でもほら、ねえ。と思ったらこれがいいのよ。ちょっとコード進行も変えてあってアレンジの力ってすごいなと思った。泣きのメロディだからだなきっと…。

浜口さんは「軽めの仕上がりですね」なんて言ってるけど、じゃあ「重厚に作ってくれや!」って言ったらどうなっちゃうのか。

劇中ではアウトレットを福田とアヒル殿が走るシーンでしたね。福田はそれどころじゃなかったかもしれないけどこの曲は、晴れ晴れとしてこう、自慢気に行進してるよね。見せびらかすように。勝ち誇るように。もう長年EDを支えてきた実力は伊達じゃない。

03. 劇場版・大洗女子学園チームで前進します!

これも聴き馴染んだ曲ですね。でもアレンジはゴージャスになってる。ちなみに「戦車道行進曲」のほうはファラドだけどこっちは1音上げてソシレ…になってる。トランペットなので、フルートより戦闘寄り。後ろの「ばん、ばばん」も、ちょっと警戒してるよね。探り合い、作戦開始ってとこかな。
最後にその伴奏が、上昇していって「そろそろなにか始まるぞ!」って感じを盛り上げていく。

04. 大洗・知波単連合チームで勝利を目指します!

これね。ホルンが入ってますね。このへんが劇場版。キーは同じだけど少し「前進します」より鈍重にも聞こえるのは知波単学園のイメージか。Bbに転調したところでコントラバスがピチカートで弾くのでちょっとジャズっぽい。メロディはクラリネットになっています。リズムを刻むより伸ばす系のストリングスでちょっとここはのびのび戦っている。
だいたい、刻むと接近戦、伸ばす音だと移動中か長距離で戦闘、みたいなイメージがあります。
そして太鼓パートでちょっと重い(和太鼓…ではなさそうだけど)っぽい音。これですね、これが知波単学園要素なんだ。さらにD、そしてFに転調して戻ってきて、だいたい上に転調すると盛り上がると相場は決まっておるので、「戦ってんだぞ、福田とドライブしてるんじゃないんだぞ」ってことなんでしょう。アヒル殿のイメージですね。

05. 知波単学園、戦車前進

浜口さん、知波単学園を「まず和風…和太鼓だ!そして短調だな!」昭和歌謡だと。高倉健だと。巨人の星だと。もう「どーこーにーいーるー」みたいなメロディでいこうと。葬送行進曲的でもある。確かになにかっていうと死んじゃうイメージ。
いわゆる、スポ根というと、昔はこうだったんだろうなあ。だから「ガルパンがスポ根」と言うとこのイメージで来るひともいるかもしれない。「いや、それは大洗じゃなく、知波単のほうで…」とか聞く人にはまったくよくわからない説明をするはめになるので変にスポ根と言うとめんどくさいかもしれん。

06. 孤高の戦車乗りです!

これは、島田さんちの娘さんですね。ピアノソロで寂しげに。ははあ、ママンとの電話のシーンですか。高い音=低年齢というルールがここでも明らかですね。
当然ながら、ここでは「大洗」を意味する戦車道行進曲のモチーフはない。「戦車乗り」ではあるけども、どっちかというと厳しさよりも冷たさ、で行ってますね。そういうキャライメージなんだろう。

07. 島田流です!

ついに、4拍子でもなくなった。3拍子のジャズっぽい優雅な曲。マンドリンがちょっとノスタルジックで(ICOでも使われてたような音)、クラリネットが低音から入ってきて「孤高の」に比べるとちょっと年齢層高い。島田ママンですねこれは。西住ママンが昭和なら島田ママンは明治の華族っぽい。クラリネットかな、いい音だわ。あ、これ劇場では使われてない?ああ、もしかしたら島田母か娘を紹介するシーンを作る可能性はあったのかな。

08. 夕暮れです!

廃校を告げるシーンと学園艦見送りのシーン。ストリングスだけのメロディが、学園艦など大きい物、風景を写していますね。そこに、クラリネットより音が高い、会長や生徒たちでしょうか、オーボエのメロディ。いい音だわこれ。庄司知史さん。
2:51ぐらいから何度か、音がふと途切れるような演出にしてありますね。けっしてのどかな夕焼けではなくて、別離の空気。
もしかしたら、これは戦車とも離れ離れになってみんなで(秋山殿は腸詰め作ってるけど)「潮の香りもしない」としょんぼりしてるシーンのイメージだったのかもしれない。

09. 少しだけ疲れちゃいました!

戦車道行進曲からの変奏で、レファラー、ラレラーとマイナー化したモチーフ。寂しい大洗、ですね。劇場版ではバスで他の生徒たちとばらばらになるところだそうだけども、なんに「疲れちゃった」んだろう。本来は、訓練あるいはエキシビション後のしんみりしたシーンを想定していたのかな?

10. みんなの想いはひとつです!

吹奏楽中心の曲に比べて、アコースティックギターとピアノというのは珍しく感じます。つまりいつもとは違うシーンということでもある。フルートも綺麗ですね。そして1:25あたりのピアノ・ソロの泣かせが入ったコード進行。真っ暗ではなくて明るくはあるんだけど、切ない。ちょっと10話の、みんなでカツ食べてるところも思い出す曲ですね。(あれは違う曲だったと思うけど)

11. なんとなくの日常です!

これ、帰省の船に乗ってるあたりとか…と思いきや日常夜。仮校舎で寝てるところかな。ビブラフォンが入って、あ、つまり鉄琴です。下から空気を煽ってビブラートを掛ける機械がついてる。夜っぽいですね、この楽器の音が。
わたくし思うに、このサントラ世界では、鉄琴木琴は「作業」「構築」だと思うのね。なにかを積み重ねている。日常の仕事かもしれないし、着々と仕掛けているかもしれない。とにかくリズムを刻んで動いている。「夕暮れです」みたいなぼーっとしてるんじゃなくて、寂しいけどなにかやってる、というイメージに見えます。

12. 準備を怠りません!

こちらが仮校舎での昼か。ほら木琴でトントンやってるでしょ。日常の積み重ね。フルート、オーボエはもう日常なんだな。トランペットたちが戦闘で。

13. 西住流です!

これが帰省、そして実家の様子。さすがにいくら西住流でも家でもばっこんばっこん常時砲撃があるわけでもなく、静かな落ち着いたご家庭です。ただ庭にヘリは降りてくるけど。ああ、これはみほの部屋なんだな。部屋のホコリが光にきらきらしている。思ったより優しく包んでくれるような実家でした。これはしほさん怒ってないね。

14. II号戦車が好きです!

もうみほまほがかわいいこと。あのシーンですね。ここで、時間が過去になるというので音楽も、他ではあまり使ってない…ハープ?ギター?幻想的な音に仕上げてあって、もう夢の中のような記憶のかなたの世界。セリフをなしにしたのも「夢」という効果にしたかったんでしょうね。

15. 会長もたまには働きます!

打って変わって現実。ここからですよ!ここから3曲ほどがわたくし、このサントラのひとつの山場だと思いますしここを書きたいからこの長い記事を始めたんです。
会長が動く。あの小さい体でなあ。どんだけ重荷を背負ってる。生徒会長が全てを仕切る(学園長ってなんなんだろ)らしいんですが18,000人ですよ。ちょっとした大企業ですよ。その命運を背負って大人たちに挑む。人脈を辿って…。自分ならあんな堅そうな役人と折衝するのは嫌だなあ。
ここでは、低音の弦が刻んでいます。重苦しい作業を積み重ねている。ハープシコードみたいな音もするね。相談し、考え、そしてまた別のところに働きかけ…。

16. 希望の光は絶対に消えません!

そしてここにつながる。こうして会長の働きが、着々と桃ちゃんそしてみんなに伝わっていく。
これね、劇場版だと試合を告げるシーンで途中の一部だけしか使われてないの。でもこの曲そのものは、一連のドラマがあるよね。浜口バージョンと呼ぶゆえんです。
重苦しい空気から、0:40あたりで最後の希望が見えてくる。1:23あたりで半音上に転調してるのわかりますか。この上に一歩一歩上がっていく感じよ。まあ実際はこっそり半音下に戻るのを繰り返してるんだけど、ともあれ上がっていくのを強調している。会長が繋いできた希望をみんなが大切に広げていく。木琴がNHKで昭和の高度成長期とか言って早回し気味に機械やら車やらが行ったり来たりする感じ。わかって。
2:23で「やってやろうじゃねえか」になる。そりゃそど子もぐっと顔を引き締めますよ。2:36のストリングスパートは空に思い描く希望。取り戻せるかもしれないという夢。現実の困難もあるけれども。この試合に勝って大洗に帰ろう!っかーっ、泣ける!
最後に、みんなの興奮からちょっと引いて、「苦労かけるね…」「いつもそうですから」ですよねこれ。ここまでのドラマをこの一曲でまとめてきたわけですよ浜口は。まいりましたね。
実際の劇場版は重苦しい「たまには働きます」などに戻ったり、みんなが集まってくるHome Sweet Homeとかにもなるんだけど、このサントラのバージョンではこうなっています。いいじゃんか。

17. 学園十色です!

皆さん大好き、学園十色です! パンツァーリートとしてはDisc2のほうが豪華なんだけども。みんなのバランスとしてはこれですかね。
特にフニクリ・フニクラが好きかな。「きたー!CV33で来やがったー」と盛り上がる。これ、いや登山の歌ってのは知ってるけど、OVAでも思ったけどこんなに頼もしい素敵な曲だったんだね。それから雪の進軍が妙に威勢よくていい。
これらみんなのテーマメロディが、最終的に大洗の戦車行進曲にまとめられちゃ、もう降参するしかない。
これ、相手チームを「敵」として描いてないからできるんですよね。どいつもこいつも、見せ場はかっこいいんだ。そういう作りにTV版にしてあったからこその、この味方にしたときの心強さ。そりゃみほさんも涙目になりますよ。

あ、そうそう。TV版のロゴはみほ一人だったけど劇場版のロゴではあんこうチームみんなIV号に乗ってるね、って話題がありましたが、
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このTV版ロゴにはなかった7つの星が集まってるところにも注目したい。7つ。なにか気づきませんか。
そう!黒森峰、サンダース、プラウダ、聖グロリアーナアンツィオ、継続高校、知波単学園。十色ならぬ大小7つの学校が今ひとつの大洗制服と同じグリーンになって並んでいるわけですよ!いやまいった!ほんとかどうかは知らないけど。でもそう考えるとちょっといいじゃありませんか。

一旦休憩

ちょっと長くなったなあ…。まずは一旦ここで切りましょうか。後半はいよいよ、あの大戦闘のBGMになるわけですが。
というわけでまずはおやすみなさい。

続き、書きました。
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