ガルパンとプリキュア

キュアップ・ラパパ!(挨拶)

それにしてもガールズ&パンツァー劇場版、大評判ですなあ。
「へえ、そんなにすごいっていうなら観てみようか」って大勢のひとが今週末には映画館に足を運びそうですね。

さて、この映画を観て、ちょっと気づいたことがあります。(あ、映画の内容に多少は触れることになりますので、ネタバレを気にするひとはここでお別れです)
結論だけ先にいうと、「心の中に女児がいるすべての女性(および男性)にも、ガールズ&パンツァー劇場版、おすすめです」。

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  • 女の子がものすごくたくさん出てくる
  • 数人ずつの個性的チームで戦う
  • 戦闘に際しては、着替える
  • 敵の攻撃を顔で受けない
  • パンチラ厳禁、戦車無理するな(無理しないとは言ってない)
  • チョコパフェとかイケメンとかマジに夢中になれる年頃
  • ミラクルみんな来る、キラキラkawaii大集合

……君のような勘のいい子なら、そろそろなにかを把握することでしょう。ガールズ&パンツァー劇場版ってわりとプリキュアオールスターズだ!(バーン)
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ガルパン声優さんにプリキュアと重複する声優さんが多いと放映時一部で話題になりましたが、ガルパンは全部で、冷泉のおばあも入れて私数えたんですけどね、女の子62人かな、プリキュアは確か41人。それくらいいるのでそりゃ何人か重複も出てくる…と思いきややっぱりガルパンは他の女の子いっぱい作品と比較してプリキュア率高いみたいね。
プリキュア率 - 藤四郎のひつまぶし
どちらも増えたことですし、改めて抜き出してみましょう。

西住まほ - シャイニールミナスふたりはプリキュアMaxHeart
ナオミ - キュアレモネードYes!プリキュア5
カエサル - ミルキィローズYes!プリキュア5 GoGo!)
ダージリン- キュアベリーフレッシュプリキュア
角谷杏 - キュアハッピースマイルプリキュア
カチューシャ - キュアピーススマイルプリキュア
エリカ - キュアハート(ドキドキプリキュア
西住みほ - キュアロゼッタ(ドキドキプリキュア
ミカ - キュアエコー(プリキュアオールスターズNS)

他にも、なおちゃんの弟で秋山殿が、ハピネスチャージのクラスメイトで華さんが、グレルでおばあが、今のプリンセスプリキュアにはそど子が出ていますね。これから魔法使いプリキュアなどに参加する名前もあるかもしれない。
でもまあ、ここで話題にしたいのはもっと中身のことです。

ガルパンのルーツ

ガルパン系譜は往年の戦争映画だろうということは言われてますし、映画内で登場人物がそれらしき映画を観ている直接的描写もあります。otapol.jp
他にも「チャンバラじゃないか」なんて声もあります。
私としては、これTVシリーズのときの話ですが「ラブライブ」「TARI TARI」などの「廃校もの」は、時代劇で言う「お家お取り潰し騒動」以来の伝統ではないか、と思いました。

だけども、もうひとつ。「女の子がたくさん出てきて戦うアニメ」の流れもあるのではないか。「萌え」というのとは少し違います。魔法少女とかセーラームーンとかそういう、女の子向けの「女の子だって暴れたい」流れです。これは意識して継承した系譜というよりは「女の子たくさん集めてなにかやる以上結果的に似てくる」、という形かもしれませんが。

ガールズ&パンツァーではそりゃ「パンツァー」が気になるけれども、「ガールズ」要素も無視できないよね、ぐらいのニュアンスです。戦車や戦闘を考証している野上武志さんや鈴木貴昭さんらのスタッフに対する、脚本担当の、「おジャ魔女どれみ」や「マリアさまがみてる」「たまこまーけっと」なんかも手掛けた吉田玲子さんの方向ともいえますか。この2つの軸を監督がまとめあげていく、という構図かなと想像しています。

あ、そうなってくると女性ばかりで野球をする「プリティ・リーグ」とか、女の子だけでジャズをやる「スウィングガールズ」も視野に入ってきますね。
本来男のものと思われていた分野で女性が奮闘する系
という言い方もできるでしょうか。プリキュアや戦車道では「戦う男」は出てこないので、そういった男女問題に足を踏み入れるのを巧みに避けているようではありますが。

女子で野球といえば

女子プロ野球を敗戦直後の日本でやろうとする漫画「鉄腕ガール」が私大好きなんですが、一戦一戦の緊張感やヒロインの生き様をドスンと喰らいたいひとにはいいかもしれない。
詳しいレビューは以下の方の記事が参考になるでしょう。
登場人物の生き様にシビれる!「鉄腕ガール」 ( 漫画、コミック ) - 活字中毒オンナの読書感想文 - Yahoo!ブログ

 女給として働いていた主人公・加納トメはその美貌と腕っぷしの強さで、戦後初の女子プロ野球リーグを注目させる為の「かませ犬」としてスカウトされる。

 自分の投げる球に揺るぎない自信を持っていたトメだが、最強チーム「ストライクス」の黒沢にあっけなく打ち取られてしまう。

 自信を喪失したトメだが、化粧品会社「日比谷美容」の女性オーナー、蘭崎五十鈴に見初められ、「キャンディーズ」のピッチャーとして野球を本格的に始める事を決意する。

しまいには本番アメリカに殴りこみ「戦争に勝ったくらいで威張りやがって 男としてもっとカッコよく生きられねえのか」熱いでしょ?

あ、野球といえば水島監督が同じく監督した「おおきく振りかぶって」という人気作品もありましたね。

華やかな娯楽作品「ガールズ&パンツァー劇場版」

横道にそれました。ガールズ&パンツァー劇場版でした。印象を列挙してみましょう。

女の子がいっぱい

前述のように男はあまり登場しません(お父さんとか連盟会長とか役人でわずかに出てきます)イケメン狙いには向かないかな。恋愛に憧れる武部沙織さんには残念な話ですが。ただ、ヒロイン西住みほのお姉さん、幼少期のシーンもありますがかなりイケメンで無口系(っていうかあそこ音声ないからね)クールショタっぽくもあるのでそのへんが一部の癖がある方におすすめになりますか。…沙織がまほの昔の写真を見て「なにこれかわいい」とか言い出す可能性…あ、すいませんこっちの妄想です。

男は少ない代わりに女の子が多い。やっぱり見た目華やかじゃないですか。まあまずそういう単純なキラキラ具合が好きだなあ。あ、あと戦車が少し出てきます。パンツァー生まれのカーボン育ちよ。

優しいたたかい

暴力感がないこと。まあ兵器は暴力発生装置以外の何者でもないんで「チミはいきなりなにを言い出すのか」と思うかもしれませんが、戦車道では砲撃の性能は誰かの肉体を破壊する道具ではなくて(でも町役場やホテルは容赦なく破壊する)あくまでも試合として相手を行動不能にする力の優劣として語られる。装甲が厚くてこちらの徹甲弾では抜けません、とかね。生身の体には当たらないしやられてもせいぜい転がった戦車からシュポッと白旗が上がるだけです。沙織が華さんの肩を蹴るシーンくらいかな、肉体的暴力シーンは。

そしてもちろん上官が部下を殴ってヒャッハーなんてのはない。ガルパンで出てくるパワハラとしては、プラウダ高校のカチューシャが、遅れをとった者に日の当たらない教室で25日の補習授業を申し付けるくらいじゃないですかね。
このあたりのマイルド感は、プリキュアなど女児向け作品にも共通したものだと思います。プリキュアの有名な掟に「プリキュアの顔を殴らない」があります。顔付近の攻撃は腕で必ず受ける。威力は身体ごと吹っ飛ぶことで表す。

つまり描きたいのは血肉や人間系の醜い諍いじゃない、という。前述の「鉄腕ガール」のような作品は男女間の体力の違いから始まって肉体や人間ドラマを描いているので、こりゃ真逆です。そういう作品を求めていたら肩透かしを食らうと思う。

お色気控えめ

プリキュアの基本水着禁止ほどではないにせよ、ガルパンには監督のパンチラ禁止令があります。お風呂にはね、汗でベタベタになったら流したいよねという吉田玲子さんの意見により入りますけど。まあ、どんなシーンにだってセクシーを読み取る読み師もいますが、作品としては別にそこはアピールされない。

とにかく笑いと感動よ

パンチラもない、つまりエロスもタナトスも健全レベルとしたらじゃあ他になにがあるの?あんたたちなにが面白くて劇場に向かうのというと、これは努力・友情・勝利です。さらに言えば笑いと想像力です。

いや笑ったよね。感動と笑いが一緒に来るのがまた困る。これは是非ご自分の目で確かめていただきたい。
この笑いには、コミカルなシーンに対するものもあれば、ドリフターズの最後にセットが崩れ落ちるタイプの「あーあ」オチもあれば、「ははあ、よくそんなこと思いつくね」という感心や脱帽に近い笑いもある。

だいたい人間、予測できたことには「ま、ベタだよね」と言い、予測できなかったこと自体は忘れるもんですが、あの戦車たちの活躍、もう手を替え品を替え、戦車独特の仕様やその場にあるものなどを活かした戦い方、ジャッキーチェンが机とかお茶碗とか箸を使ってカンフーするアレみたいな、そういった「戦車が好きで好きでしょうがない隊」の想像力に拍手するしかない。あんな予想外だらけにはベタとか言えませんよ。

オールスターです!

今回の劇場版一番のポイントは、オールスターということ。かつての対戦相手、ライバルが、みほたちのピンチに次々と集まってくる!大集合!

どんな流れかは是非劇場でご覧ください。ただちょっとだけネタバレしておこう。プリキュアオールスターズでもおなじみの、
「ちょーっと待った〜〜!!」
が合図です。

ああ、DXみたいに(以下妄想)敵に取り囲まれた西住殿が「やられた…っ」と目をつむるが攻撃がなぜか来ない。そっと目を開くとティーガーに乗ったお姉ちゃんの後ろ姿を始めイギリス、アメリカ、ロシアなどの各校混合戦車部隊が盾に!(例の曲)でもよかったなあ。話の整合性まるでないが。
やられシーンでは「まだ……わたし、大洗のみつだんご、食べてない……」「かあちゃんの店の生しらす丼も…」とか言いながらゆらり立ち上がるわけですよ。
無論観客はミラクルライト振って「がんばえー!」とか応援しており、「力が…湧いてくる…」「みんな、ありがとう!」で最後はなんかでかい敵にみんなで「はーーーー」と声を合わせて巨大な榴弾だか重ベトン弾だかを打ち込みます。

ついでにスタッフロールでは全員3Dの美麗CGで踊るアンコウ踊り…いや、今のなし。

あ、スタッフロールでは各戦車の主な活躍シーンと撃破数が整理されて出てくるのでもよかったね。本編が乱戦だったから。まあ、そうすると感動薄れるか。

逆にプリキュアオールスターズ側にガルパンが参考になる点はないか。この間の作品では歌合戦みたいになってましたが、もっと本編中でも歌ってもいいかもしれない。カチューシャとか雪の進軍とか。
もちろん、戦闘の多彩さ、あっと驚く個性を活かした活用法。ミントやロゼッタ、サンシャインらでバリアとかあったよね、あれみたいな。ただすごいのをドカーンで終わりではなくて。これはぜひ取り入れていただきたい。

まとめ

実はガルパン劇場版では、先ほどの「ぷいきゅあー、がんばえー」ほとんどそのままのシーンが出てきます。倒れても倒れても立ち上がってくるものに憧れる二人の少女のものがたり。
そんな風に観てもいいかもしれません。

「キュアップ・ラパパ!」も「パンツァー・フォー!」も、だいたい同じようなもんです。(予想)[要出典]
ガルパンプリキュアも、楽しいよ!

ガールズ&パンツァー劇場版を見た感想です!

いよいよ公開です!

ガールズ&パンツァー劇場版、先行上映&前夜祭から初日と、続けて観てきました。満足です。

えー、だいたいこの記事の全主旨は記述しましたので、あとは雑談をしましょう。

作るぞと発表があったのが2013年4月だから2年半掛かってるんですね。
いやー、指折り数えて待ってた甲斐がありました。ほんともう、これを励みに生きてきて、その先を考えてなかった。このあとの人生のビジョンというものがなにもない。あ、劇場版Blu-Rayか。

あの、11話12話で3ヶ月待たされたのを思い出しますね。黒森峰戦の結末を想像したりいろんなMAD見たり、秋葉原で「頂上決戦」なんて看板眺めたりして待ってたんだよね。今回はそれよりずっと長くて、その間にプリキュアは2回も入れ替わるし、世の中激動です。

そして劇場版の前に、みんな言いますけどTV版およびOVA「これが本当のアンツィオ戦です!」は見たほうが良い。
バンダイチャンネルでも有料会員見放題。www.b-ch.com

そうそう、なんと今Amazonプライムビデオで全話+OVAが見られるのね。プライム会員なら無料で見られる。www.amazon.co.jp
www.amazon.co.jp

まあ、見なくても映画冒頭に「3分ちょっとでわかるガールズ&パンツァー」総集編があるけれども。まあでも今から見たって3ヶ月も2年もかかるわけじゃないんだから未見のひとはちゃっちゃと見ると良いと思います。

…ほんとはBD/DVD各巻についてる短いOVAとかオーディオコメンタリーも聴いておくといいんですけどね。まあオプションということで。

ネタバレします!

どうしてもね、Twitterなんかだとネタバレトークをしにくい、まだもうちょっと待とうか、みたいな間にだんだん忘れてきちゃったりしてね。やっぱり熱いうちに、主旨もまとまってなくてもどこかに書いておいたほうがいいな、と。

とはいえ、今回の劇場版はエピソードぎっしりだし、「まずダージリン」「そうな」「ホテルが」「そうそう」「きゅうりが」「うんうん、それもまた戦車道だね」と出てきたシーンを思い出してはいちいちうなずいてしまいそうな感じではある。

もうなんか研究会のように1シーンずつ一時停止しながら「はい、このシーンについてはみなさんどうですか」と感想を言い合い5分~60分程度時間を使って…何日掛かるかわかりませんが。

そんな中で一番好きなシーンといえば、大洗女子学園西住まほ登場ですかね。感動と笑いが一緒に来るんだもんなあ。他にも…ああ、やっぱり各シーンの羅列になっちゃう。

じゃあ大洗を思い出します!

チームごとに振り返ってみよう。またそのうち観に行くでしょうけど、現時点の記憶で。記憶量にばらつきがあるのはご容赦。

まずあんこうチームですが、これは無論大隊長を始め大活躍。最後近くであの不安定な態勢からの砲撃、華さんの肩に手を置くみほが良かったですね。ちょっと華さんや沙織ら、特に車内での会話シーンが少なかった感じはあったけども、この5人の日常系はいろんな作品でたっぷり観たしまあそこは仕方ないか。れまこは一方、そどことの絡みで目立っていた感じですね。朝の点呼のうんざり顔に笑った。あ、華さんはひまわりの種食べそうだった。
秋山殿は、大学選抜と聴いて西住殿と顔を見合わせたり、さすがの戦車知識からカールを推測したりさすがでした。

生徒会チーム。
もうこれは、会長の動きがしびれましたね。もうひとりのヒロインだなあ。言われてみればTVシリーズの最終回、なんかこうちょっと引っかかるものがあったのね。「まさか優勝校を廃校にはしないよねぇ?」あの文科省のメガネはメガネカチャっと言わせただけで優勝したら廃校を取り消すとははっきり言ってないので、黒森峰との決着がついても、なにかどんでん返しが来るのではないかと身構えていた。そこへ真紅の優勝旗が来て優勝パレードで、「ああ、勝ったんだ…」ってほっとして涙がこみ上げる、みたいな感じだった。そのかすかな「これで大丈夫なのか?」というのをちゃんと捕まえてきたのが今回の劇場版でした。
なので今度はそこをきっちり、コネを使って、言質を取って、只者ではない政治力で片付ける会長。念書もそうだし転校届とか紛失届とか、ガルパンって結構書類が出てくるね。妙にそこはリアル、みたいな。このへんのちょいリアルなの、SHIROBAKOっぽいなと思った記憶がある。そして桃ちゃんの涙。素晴らしい演技でした。あんこう二宮金次郎に笑ってる場合ではなかった。生徒会は試合でも飛んだり乗っけたり活躍して、よほど忍者っぽかったのではないか。そして会長の超だいしゅきホールド。ところで3人の中では柚ちゃんが好き。

歴女チーム。
ナポリターンとかマカロニ作戦とか、アンツィオに学んだ作戦が多かったですね。ナポリターンは成功してたらカッコ良かったんだけどなあ。なんかゲームだかなにかやってたけど、あれが後の行動に影響してたんだろうか。

アヒルさんチーム。
火力のない戦車が、安定した火力のある戦車に劣らずむしろそれ以上に活躍するのが本作品の面白いところ。さすが大洗で最も練度の高いチーム。知波単学園の先輩にあたるわけで相性はいいし、CV33よりは大きい中戦車。どんぐりだっけ、あのカールのところの作戦も良かったし、アヒル軍団も。ゲリラ的戦術で、一番西住みほ流を体現しているのではないだろうか。

ウサギさんチーム。
これはもう、さきちゃんでしょう。丸山ちゃんのPOP看板があることで一部には「丸山荘」とも呼ばれる大勘荘も、看板破壊されてご満悦では。「重戦車キラー」にかりなちゃんが「違うと思う」っていうところが一番成長を感じさせましたね。そのちょっと前では、うさぎの世話をしたり魚を釣ったり野生化していた。あと魚の干物が、時間経過を感じさせました。大体何日ぐらいああして釣りとかしてたんだろう。1週間やそこらは最低ありそうだけど。そして観覧車先輩。あれ崩した瞬間割れたガラスが飛び散るのね。細かい。

風紀委員チーム。
これも笑いどころのひとつ。あの点呼のいい加減さが演技としても良かったなあ。そこから「ルールは破るためにあるのよ」に繋がるのが上手かった。しかしなんできゅうりだったんですかね。

自動車部チーム。
ジェットストリームは決めて欲しかったけど、まあポルシェティーガーらしい。ああ、そうだ、他の学校の戦車も直しちゃうとかそういうのが欲しかったね。ないものねだりだけども、カチューシャたちとのコラボみたいなのをもっと見たかったな。

アリクイさんチーム。
さらに笑いどころのひとつ。いや活躍できてよかった。こういう、本筋とは関係ないところでずっと物語が続いてるようなギャグ、すごく映画っぽいと思った。あとはネットゲーの知識を活かしたところがあると…あったのかな…。

他校も思い出します!

他の学校ももちろんいろいろあるんですが、終盤の戦いとか入り組んでいて記憶がはっきりしない…。それぞれざっくりとした印象だけ。

知波単学園
西さん、というとどうしても(西゚∀゚)アハハハハ八八ノヽノヽノヽノ\/\ って笑うひとを思い出しますが、キャラとして好きですよ。「散ったらだめだろー!」の声の裏返り方、瀬戸麻沙美さんいいなあ。しかし、こうして突撃して黒森峰に叩きのめされたのか。そりゃそうだろう。でも今回「我々には我々の流儀が」ではなくてちゃんと大洗の指示を仰ぎ学ぼうとしているのが良かったですね。あと福田ね。アヒル殿!ってあれ大洗のみんなにいろいろ言われて途中から「学ぶべきものがある!」と思ったんだろうなあ。

聖グロリアーナ
アッサムさんがしゃべった!あとクルセイダーに乗ったあの、ローズヒップか。良かったですなあ。戦闘でも大活躍だし、例の「秋の日のヴィオロンの」って、全員集合を画策したのダージリンさんですよね。制服とかも配ったのかな。あそこはまほでドーン、というギャグが良かったと思うけど、各学校に事前に大洗の制服が配られ、ちゃくちゃくとみんな着替えて(末端の生徒まで)続々と集まってくる、みたいな映像だったとしてもゾクゾクしたと思う。咲-Saki-全国編みたいな感じで。
ダージリンさんの散り際が美しい。あれって、なんだろ、豪傑がひとりずつ散るような、任侠映画っぽさがありましたね。いやアイマスのあれじゃなくて。なんかで観たぞ、副主役格ぐらいの男が最期に上段に刀を振り上げて、その開いた腹に四方から敵の刀を差し込まれ、にやりと笑って血を吐いて死ぬシーン。

プラウダ
今回の泣かせどころ。ロシア語、カチューシャだって多少は知っていても片言ぐらいしかわからないんでしょうね。カーベーたんのニーナたちも熱かった。結構慕われているんだ。ノンナも、自分とべったりでは偉大なるカチューシャの成長にならないと思ったのか。その後カッちゃん呼ばわりされてましたが。でもよそんちのひとたちともうまくやって、やっぱりノンナの言うとおり偉大な才能を秘めた戦略家なんだと思う。あ、まほを極端に恐れてるの、もしかして前回の大会でみほのフラッグ車を落として勝ったとき…カッとしたお姉ちゃんなんかやったろ…。

サンダース。
おケイさんいいひとなんだけど今ひとつ目立たない…あ、でもカッパかなにか着てるシーン良かったですね。戦車を飛行機に載せて、そしてまた戻ってくるまでが早くて「あ、すぐ帰ってきた」みたいになっちゃった。あそこは時間経過とか「戦車がないことの心細さ」みたいな、なんなら「もう戦車なんてないじゃない!」「サンダースも忘れちゃってるかも」「そんな!」って1年生が喧嘩しちゃうくらいの、「おケイさんがまた持ってきてくれるはず!」とちょっと心待ちにするシーンが、普通なら入ってたんだろうなあ。
そんなウサギさんたちにいじられるアリサさん、「この借りは高くつくわよ」で大洗を励ましたりしてやっぱりいい子なんだ。
そうそう、戦闘ではナオミもいい動きしてたけど、最期に敵に手も足も出ず、野球でいうと見送り三振みたいな無念さがありましたね。スタッフロールでぶすっとして肉食いちぎり続けてた。できればノンナや華さんとスナイパー合戦も見たかった。

黒森峰。
まぐれと呼ばれて即激昂するお母様も良かったし、お姉ちゃんに頼られて喜ぶエリカも良かったですが、もうお姉ちゃんが。あの、クールなショタが好きなひとはそういう目で見て興奮しそうな幼少期。あのII号戦車のシーンは良いわ。セリフなしの演出、良かったと思います。
初回に観たときは、まほの試合最後の悲しげな表情が印象に残りました。妹を空砲でも撃つのが嫌だった、って解釈はそうかもなあ、と思いつつ最終回では互いに撃ちあってたわけでもうひとつしっくりこない。自分なりの解釈としては、明らかに西住みほ流の、自分にはない作戦であることで別の世界に踏み出している妹を感じ、しかも撃つと同時にみほが離れてしまうような、そう、のんのんびよりでれんちょんの自転車を見送る駄菓子屋のような寂しさではないかなあ。深読み過ぎか。

アンツィオ
もう一人の主役、って主役が何人もいるアニメですね、アンチョビさんです!大活躍じゃないですか。こっち見てるうぅぅぅも可愛かった。GPS(?)としても大変機能していましたしね。ペパロニ、カルパッチョと歌いながら帰るところも実にキュート。ないものねだりとしては、最後にみんな集めて大宴会して欲しかったなあ。

継続高校。
スナフキンなんですね、これはネットの反応見るまで気づかなかった。フィンランドか。言われてみればそうだ。あの履帯外れて終わったかと思わせてからの激走はしびれますなあ。他にも早い戦車はありましたが、とにかくスピードが一番華麗だった。
そしてなんかそのまま流れていくというね。いや実に、能登麻美子に始まり(いや一番最初にセリフしゃべったのはダージリンさんだけど)能登麻美子に終わる。漢字でも五文字、ひらがなでも五文字の能登麻美子の名は伊達じゃないと思いましたね。

映画全体を通した感想です!

つい最近たまたまジャッキー・チェンを分析した動画を見たんですが、この映画もああいう喜劇映画の感覚がある。時代劇のチャンバラだ、って人もいましたね。確かにTV版最終回のラストバトル、睨み合った戦車が互いに時計回りに…って刀を向け合っていきなり横走りする巌流島の戦いっぽいし、OVAのひなちゃんタカちゃんの鍔迫り合いもありました。あ、戦車の場合やっぱり飛び道具だから西部劇的でもあるんだ。劇場版では「ジェロニモ」のシーンもありましたね。

BGMを聴くと昭和の喜劇映画っぽさがさらにある。クレージーキャッツとか渥美清とかのね。「馬鹿が戦車でやってくる」って映画もありましたねそういえば。あと今回スピルバーグの「1941」をウサギさんチームが予習してるってネタがありました。

ああ、そうだ、「ストーリーが単純なのでわかりやすい」「ストーリーはないも同然」って解説?がよくあったけど、本当かね。
ダイジェストしやすい、「どういう話?」「こういう話」とひとことで言いやすいからといってストーリーがないかというとそんなこともないと思うのね。確かに彼女たちの目的や人間系の話の流れは単純明快。でも、戦闘は?

各戦車の思惑と動き、というもうひとつの「ストーリー」を考えてやると、これはかなり複雑ですよね。一度観たぐらいじゃわからない。単純にピンチか?と思えば逆転でき、勝ったか?と思ったらすぐやられる。人間のセリフが少ない代わりに、これ戦車が砲撃や動きで語ってるんだ。

TV最終回のポルシェティーガーでも思ったけれど、いつのまにか操縦している人だけでなく、戦車がキャラクターに見えてくるんだね。体のでかいやつ小さいやつがそれぞれ体格を活かして戦っていく。生きてますよね、これ戦車が生きてる。

エンディングがあっさり、という声もある。Cパート…ではないけどエンディングあとになにか、宴会みたいなのが欲しかったと。そういう人間系の楽しさも確かに見たいけど、そこは特典映像に期待したいところ。今回のは今回ので、戦車というキャラたちの生き様をこれでもかと魅せていったあとの、ミカの一言でいい締めだったと思うなあ。
人生に大事なことが全て詰まってるんだね!

てさぐれ!部活もの すぴんおふ プルプルんシャルムと遊ぼう 8話ユリ狼回答編

完敗です。

いや参りましたね。これはもう気持ちよく、高橋葵、荻野可鈴にひれ伏したいと思います。すっきりしたわ。

前回のこれ、見事に大外しでございます。head.hatenadiary.jp

放映を見ての感想

結末を知った今、ちょっと7話から見返してみよう。こりゃ、オーディオコメンタリーが楽しみですなあ。
無論ネタバレです。

1日目の朝、葵がひーなとの会話で「とりあえず役職の人は言わないほうがいい?」と念を押してる。これで本当の占い師が自分より名乗り出るのを牽制しているんですね。
2日目の朝、こはるん(知らない人は居ないと思いますが心春=こはるん=へごちん≒はっしー=大橋彩香です)が疑われたときに、葵「わー」ってちょっと言ってますね。この時点でこはるんを切り捨てようと思ったのだろうか。そして問題の葵の偽カムアウトがあります。
3日目の朝は、ひーなが生きているここが一番葵にとって危ないところだったのでは。ここでひなが「葵を占った」のにひーなが突っ込んだところで大勢が決まってしまったかな。
4日めの朝。「襲われたのはひーなさんです」に「えー」と返したのは西、凛の二人だけみたいですね。こうなるともう葵が力押しで十分。ひなと目が澄んでいた、って凛は正しかったんだなあ。ここで凛が上手く西を説得できていたら……ああバカたち可愛い……。って、自分もこの時点で西しゃんと同じ気持ちだったので、ゲームが「百合チームの勝利」と聞いてあれ?と。状況がちょっと理解できなかった。

衝撃の結末

「あー、そうねー、予想ついてたわー」と言いたいところですが…。ひーなが白で葵が狼である可能性はあるなと思ってはいたのよ。でも前回書いたように結局「葵もひーなも白、狼でない、に一票」だと思ってた。

自分が騙された理由を考えてみた。もちろん葵の戦略に一杯食わされたわけですけど、どうしてそうなってしまったのか。

  • 葵は人狼初心者だからルールをあまりわかってない
  • 葵は演技しない
  • 知りすぎているひーなが怪しい
  • 作画スタッフの仕事
  • 陰の役者とバカたち
「ルールをよくわかってないのでは」

まず「葵は初心者でルールが良くわかってない」と思い込んでたんですね。つまり彼女の演技に完璧にハマった。これは人狼をやるのが初めてのひとたちで番組を上手くできるのか、みたいなメタ情報を意識し過ぎたとも言えます。まあ西さんが最後に言った「私も葵をバカだと思ってた」ですね。

でも、よく考えればそもそも「てさぐれ」の台本パート&プレスコでアドリブで…というめんどくさい番組のシステムを把握してたんだもんね。どちらかというと「話の流れを理解してない」ことによる笑いはへごちんのほうが多かったのではないか。
6話、上坂すみれ演じる友美さんの「地下に潜る」発言に「何の話をしてるんですか?」「観覧車ですよね?」とむしろ話の流れを戻したのは葵。

「いぬさるの仲」などと、知識の量は大きく違っているけれども、頭の回転はめっぽう早いんじゃないかな。だから上記のやりとりのあとの「友美さんに興味があります」も今思うとなかなか味わいがある。
上坂すみれさんは特定分野でものすごい知識量、というタイプ。荻野可鈴だって、一般常識は疎くても例えばあの年代のアイドルやらファッションやらには当然詳しいだろうし、つまりこの二人、実は「知識のエリアが常識と比較してやや偏っている」というふうにくくれば、似た頭の良さなのではないか。つくづく、今回のユリ狼に友美さんが参加してたらどうなっていたのか興味深いですね。

あっ、そうするとお化け屋敷の抱きつきも、「あらまあ懐いちゃって…」と見てましたが、あれは「どうやらこの遊園地(動物園)に一番詳しい明坂聡美が一番頼れる」と判断した結果かも。打算というより自分の身を守る本能的な判断で。

「葵は演技しない」

荻野可鈴のすごいところはもうひとつ。

「『役者』演技を本業とする声優さんたち8人に囲まれた状況で、誰の演技よりも葵のそれが他を騙し、出し抜いた」

これが成り立った理由は、とくにシャルムメンバーにとって「てさぐれは素」という意識が強すぎたのではないかな。これまでに大喜利、アドリブをやらされて「ああ、この番組ってこんなに素でやっていいんだ」「普通のアニメじゃないんだなこれ」すなわち、「てさ部のひとたち、あんまり演技とか考えずに自由にやってるんだな」と感じていたのでは。

つまり番組そのものを逆手にとって「演技する仕事の声優」→「演技しない番組」→「ゲーム中で演技する」とひねってひねって360度回ってる。

荻野可鈴→(素)→高橋葵→(演技)→ユリ狼

もっと深読みするとほら、葵ちゃんは一番素っぽいじゃないですか。まあ女優の仕事もしているけど、てさぐれについてはこの子一番演技してないわ…と他の声優さんおよび私のような視聴者は思ってた。だからユリ狼も素でやってるだろう、やっぱり占い部員なんだろうと。ここに騙されたんじゃないだろうか。

知りすぎているひーなが怪しい

ひーなは葵の逆の存在ですね。人狼を良く知っていて、演技力も達者なベテラン。これは自分も騙されるに違いない、と思い込んでいた。だからいかに一般生徒として発言しても「裏をかかれているのでは…」と逆に信じることができなかった。

作画スタッフの仕事

作画っていうのかな、アニメとしての絵ね。これもちょっとあるかな、と思った。戸惑っているような顔をしたり、驚いたりしているけれどもこれはミスリードを誘うように作画されたものですよね。我々は絵しか見ていないけど、ひょっとすると生身の表情だとどこか勘づけたかもしれない。
小松未可子演じるひなさん(ひーなと紛らわしいですが別のひとです)が1日目、眼鏡チャキッとするあたりとか、怪しく見えるよう演出されている。

陰の役者

その他いろいろ、葵の名演技を支えた存在があります。例えば終盤ひなを信じることができなかった。葵が占い師を騙ったところで「あれ?おかしいよ?」と言い出さなかった点ですが、占い師は名乗り出た方がいい、といったのはひーな。
もし、ひなが「ひーな、葵が怪しい」と考えたなら「この二人の会話に乗って名乗りでていいんだろうか…?」と迷ってもおかしくない。冷静に考えれば名乗り出るべきなんですけど。これは操作ミスという偶然も関わってきています。まず自分が信じられないので強く出られない、(私だけが本当のことを知っている)けど、本当のことってなんだっけ、という混乱状態。
ひーなの「ひなちゃんを占って欲しい」と言ったのも効いてますね。その後考えがまとまらず黙ってしまうひなに疑いが集中してしまった。

葵ちゃんに隠れてますが、へごちんもすごいよね。まったく狼だと思わせなかった点で。天然さん。狼なのになにもしない、みたいなところが逆に人々を騙すことになってる、的な、何もしないで追放されるのが狼へごちんにとって最良の作戦。

四日目になると、葵の「バカを残す」戦略が光ってきます。あとからカムアウトしてもそれを信じて「葵、怪しいわね」と言ってくれそうなひーながいない。ここでみかこし、「なんで占い師が襲われないんですかねー」という反撃を思いついていれば…。

まあ一方西ちゃんは「(西゜∀゜)アハハ八八ノヽノヽノヽノ\/\」って言ってるだけだし……。こういう素直なところが持ち味だとは思う。

まとめ

いやー、自分は結構素直な騙されやすい(要するにバカ)人間ということがわかって参考になりました。今後教訓にして生きていきたいと思います。
っていうか「葵が狼だとは感づいてた」はできても、じゃああの状況で自分は葵のように振る舞えたかというと、どうだろう。そこまでどこでどう演技すべきか考える判断力と、度胸と行動力がなかったんじゃないかなあ。

採用されなかったゲームのほうも面白そうだなあ。こりゃBDが楽しみですね。へごちんも侮っちゃいかん気がする。今までのてさぐれを見ていても、実はいろいろ考えているけど説明が面倒なので黙ってる、みたいな、めんどくさがりやさん!


裏でどんな会話してたのか、まあオーディオコメンタリーになるんでしょうが、そっちの実況も聞きたいな。

ともあれ、今回は葵、荻野可鈴が実はいろいろ仕切れるリーダータイプだということがわかりました。伊達にアイドル業界でもまれてないというか。西しゃんは笑いで方向性を決めていく(馬鹿笑いしてる方向に流れが動く)タイプなら、あけしゃんも頭の良さで切り盛りしていける、へごちんは天然だけど何も考えてないわけじゃない、そして葵も実はかなり空気読めてる、というかなり練れたメンバーですね。

てさ部は「仲良しグループ」からひとつ上の次元、「時々離反したり互いにバカと思ったりできる」というところがすごく強いチームだと思います。バンドでも、実は仲が悪いというところがすごい演奏残したりしてるじゃないですか。多分、アドリブという状況に鍛えられて、どんなお題をぶつけられても機能する柔軟な組織として、その、意識高い結論が上手く書けないけど、なんかそういう、いい感じなグループじゃないかな。

というわけで、てさぐれ、あけしゃんは嫌がるだろうけど今回だけじゃなく今後もいろんなスタイルで続けていって欲しいです。

(追記)


この記事を書いてる途中でこんなことに!?
てさプル中の一連のツイートを見ててもだいぶナイーブな、あるいは現場の苦労は推測されましたが、今後続編とか、アドリブスタイルの作品とか無くなっちゃうのかなあ。それはすごく残念。それにこれからBD発売もライブもあるというのに。これはどうにかならないものだろうか……。

てさぐれ!部活もの すぴんおふ に見る「アドリブ」

アニメのアドリブ

「あどりぶ」っていうへごちんのラジオ番組もありますが、その話じゃありません。

てさぐれ(略)プルプルんシャルムと遊ぼう、「てサプル」ですが、面白いですね。

今までの「てさぐれ!部活もの」でもアドリブで自由にしゃべる(スタジオに缶詰にされて面白くなるか疲労で脳があれになるまでネタを考えさせれるという労働的にいかがなものか的実態だったそうですが)のはやってました。
普通は絵が先にあって声を後からつけるのですが、これはしゃべりが先にあってそこに絵をつける、プレスコというやつだそうです。

アニメの世界でアドリブといえば、台本の隙間にその場で思いついたセリフをしゃべるものを指すことが一般的だったと思いますが、ここへ来てむしろアドリブメインで、というのは新しくもあります。

音楽でアドリブと言えばジャズですが、デキシーやスイング時代当初の、アドリブが決まったメロディを崩したり合間にぺろぺろ適当なことを演奏する「フェイク」から始まって、ビ・バップ革命から「アドリブを楽しむ」ことがメインとなったのと同じ流れですねこれ。

アドリブ路線の拡大

てさプルではさらにロケというものがあります。最初は卓球でしたね、卓球しながらなんか面白いことを言わないとだめ、みたいな。そこから、お化け屋敷、観覧車と実際に遊園地(動物公園)にてさ部の4人が出かけていって騒いだりしてる音声を元に絵にしている。これもリアルな言葉が出てきて面白いんだなあ。

音楽で言えばもちろん「ライブ」ということになりそうです。

人前でのパフォーマンスはいつのまにか台本であらかじめ決めておくことが一般的になっちゃったけど、本来アドリブってそんなに特別なことじゃなくて、むしろ自然の生活では台本なんか無い方が多い。会話とかね。フリートーク。トークショーなんてのもある。

あと台本と言っても細かい言葉尻まで決まってる場合から、おおまかな流れを決めているだけまでいろいろあると思います。ジャズのアドリブも完全ルール無しガチフリーから、コード進行が決まっていたり固定のリフ、キメが入ったりするのまでいろいろある。

スポーツなんかわかりやすいんじゃないですかね。勝ち負けの結末まで決まってると八百長とか言われますが、まあそこまででなうても今晩の大体の流れを決めておこうぜ、なんて「戦略」はあるだろうし、少なくとも試合のルールという制約は大体ある。

ジャズってのはスポーツだ、プロレスだ、って話が昔盛り上がりました。
だから、同じくアドリブを特徴とする「てさぐれ」も、「大まかな台本があるフリートーク」つまりラジオっぽくなるところは当然あると思いますし、「卓球」みたいに、まああれガチで試合してないですが、スポーツ的なものだって合うだろうと思ったわけです。

お笑いも似た感じですね。アドリブか台本か、みたいな話は落語の古典か新作か、あるいはコントとバラエティみたいなとこで似たようなこと言ってるんじゃないかな、詳しくないですが。

そういえば先週の「百合狼」

ってなわけで、まあアドリブと台本の関係ってのは今後もいろいろあるんじゃないかな、その間を揺れるようなものじゃないかな、てさ部面白いな、と思っただけの話が以上ですが、ついでに先週の「ユリ狼」の話。

7話では「人狼」をもじった「ユリ狼」というゲームを持ってきました。麻雀なんかでみんな疲れてくるとどうでもいい言葉で笑う深夜テンションでゲームを続けることあるじゃないですか。ああいう地味な笑い。

人狼は、名前だけ目にしていて、なにかそういうゲームがあるのだろうなぐらいにしか知りませんでしたが、なるほどこういうやつね。

細かいルールはアニメ中でも解説されていましたし、
監督の




それから
汝は人狼なりや? - Wikipedia
あたりを見てなんとなく理解できました。

まあ、百合に関して、忌み嫌い過ぎだろうとちょっと思うところはなくもないけど今回はそういうゲームということで。

でさ、あと2時間ぐらいで続きが放映されちゃうんでギリギリですが、狼は誰だろうね。

状況確認

9人のうち、狼二人、占い部員1人、剣道部員1人、帰宅部5人。
毎日多数決で一人ずつ追放する。狼は毎晩一人を襲う。占い部員は一日一人、誰かの正体を確かめることができる。剣道部員は一人を守って狼の襲撃を阻止できるが自分自身は守れない。OK、了解。

狼は互いに相談はしないものの、正体は知っているのね?狼が狼を間違えて襲っちゃうとかないのね?狼が誰も襲撃しないでおく、ということは?ない…のかな。剣道部が守った場合でも狼や剣道部員の正体はわからない?
これ終了条件は

  1. 狼二人を追放する
  2. 狼の人数 >= 帰宅部(狼が二人残っているなら、帰宅部二人になった時点で帰宅部負け)

のどちらか……でいいのかな?

7話の経緯としては、

  • 1日目の追放裁判(9人)

(ここで、なんで花音さん「襲われた、じゃなくて、目覚めた…」って確認してるんだろうか)
葵が「占い部員」に反応、ひーなにルールを確認する。
花音さん(生ビールさん)が追放される。

  • 1日目の夜(8人)

萌舞子が襲われる

  • 2日目の追放裁判(7人)

葵が「占い部員」をカムアウト。ひーな先輩を調べて狼じゃなかったと述べる。
こはるん(へごちん)が追放される。

  • 2日目の夜(6人)

結衣さんが襲われる

  • 3日目の追放裁判(5人)

結愛(西明日香)が疑われる

ですかね。2日目の夜も襲撃があることから狼は少なくとも一人残っている。
二人の狼が残り続けているとしたら、3日目の追放裁判で帰宅部が追放されると、残り4名、終了条件2で狼の勝ちとなるわけですね。

逆にゲーム終了にならなければ、狼が一人はすでに追放されたということになる。仮にそうだとすると

  • 3日目の追放裁判(5人)

狼が追放される

  • 3日めの夜(4人)

狼がまだ残っていれば襲撃あり(もしくは剣道部が守る)
襲撃がない→帰宅部の勝ちでゲーム終わり

  • 4日め(3~4人)

3人なら帰宅部を追放した時点で狼の勝ち。狼を追放したなら夜に襲撃はなく帰宅部の勝ち。

襲撃を阻止したときにどうなるかがよくわからないのだけど、いずれにせよ4日目には少なくとも大体終わりそうな。

葵、ひーなだろうか

さて、葵が明らかにゲームに慣れておらず、ふつうに見ると「占い部員」を割り当てられてよくわからずひーなに解説してもらう、という流れです。

確かに葵は天才的だし、意外と仕切れる(夢アドのリーダーというのもなんとなくわかる)頭の良さがあると思いますが、これは演技には見えなかったなあ。
また、ゲームの説明をしているひーなも、明らかに一般生徒側に見える。ただ、「占い部員に名乗り出てほしい」とか、「クソみたいな帰宅部」とか、洗い出すような言動もある。「こはるんを追放するわ」も誘導に見える。

この二人がもし葵とひーなは実は狼で結託して演技しているとしたらすごい、と思いますが…。もしそうだとすると、ほんとの占い部員が「あれ?私が占い部員なんですけど」と言い出したら終わりじゃないか…と一旦は思いました。

でもそうじゃないのね。もし、例えば西明日香あたりが「あれ?実は私が占い部員…」と言い出したとき、どっちを信用すればいいのか他のひとたちには決められないんだ。そして今回、誰も他に名乗り出なかった。これは、真に葵が占い部員であるか、なぜか真の占い部員が黙っているか(でも真の占い部員は葵が狼だとわかるから主張すると思う)、もしくは占い部員はすでにリタイアしているか、です。

真の占い部員が名乗り出るリスクを犯してもここは葵にカムアウトしてもらい、ひーなが狼でないと嘘の証言をしてもらおうと決めたのだろうか。ない、とは言えないけどなあ……。それとも、それまでの会話ですでにリタイアしている萌舞子、花音が占い部員だと推理できる言動があっただろうか…。なにかここ見落としてるのかなあ……。

逆に、葵が本当に占い部員だった場合は(占い部員が嘘をついちゃいけない、とかルールにはないのかな?)ひーなは狼でないということになる。ひーなだけが狼というパターンはないはず。

じゃあ葵だけが狼で、ひーなが実は一般生徒だったら?なぜ占い部員だと言い出したか、狼としてメリットがないように思える。むしろ「狼でした」と無実の生徒を陥れたほうが有利だと思う。

このね、葵がまずひーなを占ったっていうのが、いいんだね。お化け屋敷回で怖がる葵がひーなにずっと抱きついてるのとか、LoGiRLでの仲良しぶりとかね。まあ観覧車では高所恐怖症のひーなを「オンナノコ!」ってからかってたけど。

ちょっと怖い系シチュエーションで、まずひーなを頼るってところがね、百合的でね…あ、じゃあやっぱり百合狼なのか。

ついでにいうと先週のラジオ。あれがなぜか葵、ひーな欠席だったのがね。もしかしたらユリ狼のネタバレを避けたのか……。

ということで、えーと私の結論としてはでもまあ、葵もひーなも白、狼でない、に一票。

じゃあ本当は誰か、という話になると「狼は一般生徒のふりをしたほうが有利」ということで、もう一人の陽菜は怪しすぎるかなあ。こはるん、凛じゃないかなあ。こうなるとただの勘だけど。

2週に引っ張っておいて、追放された西明日香が一般生徒で即ゲームエンド、あとは感想戦大喜利って気もしなくもないです。

SHIROBAKOの涙

23話ね……。
「……近頃涙もろくなっていけねえや……」
って感じでしたけどね……。

そういえば最近は小説でも映画でも「泣けるの、ください」ってクスリみたいに頼むひとが増えてるって話じゃないですか。菊地成孔さんが音楽もメディスンになってきちゃってどうとか言ってたなあ。つまりあの、「泣ける」「元気になる」って効能第一になってきているみたい。まるでモロヘイヤとか青汁みたいなものばっかり食卓に並べて「体にいいのよう」と繰り返して味は二の次のオカンみたいなことになっちゃって。

まあ、SHIROBAKOは毎回「ほら泣けそら泣け」という作りではないんで、いきなりどれか1話だけ見てもおくすりみたいな効果はないかもしれない。確かに、涙は浄化作用みたいなものがあってストレスにはいいらしいですけどね。SHIROBAKOの場合は「泣ける」から「いい」というより、「いいアニメ」だから「いいとこで泣かせてくれる」なんだと思うんだ。

決してお涙頂戴ではないと思うなあ。でもここぞというところで使ってくる。なんかそこに優しさも感じるんですよ。

極めつけの涙

昭和なころは「男は涙を見せるな」的なものがあったらしいんだけど、星飛雄馬とかがんがん泣いてるしなあ。あれを「そこでなんで泣くんだよwww」って、まあ当時は「w」とかはなかったと思うが、そんなに奇妙なものだとは思ってなかったと思う。SHIROBAKOでも監督はよくギャグ顔でだあだあ涙流すし、記憶に新しいところではタローが、平岡の昔話を聞いて泣いてたよね。つまり結構男も泣く。それがまたいい場面であったりはする。

SHIROBAKOでの女性の涙…駅のホームで人知れず涙を落とす小笠原さんね。あれはほんとうに辛い、心が折れそうな涙。ありあ役の鈴木京子さんは収録を終えて仕事を全うできた涙。これは嬉し涙。

しかし一番泣くシーンが多いのはやっぱり主役の宮森さんじゃないかな。19話だけ見ても、武蔵野動画の昔を知って泣き、梅干し食べてりーちゃんと泣き、最後に大倉さんの背景を見て涙する。

大倉さんのなんかも、良かったんだけどしかし23話では極めつけ、主役の宮森さんが友情に流す涙。これが美しいんだ。宮森さんは良く泣くけど事態を自分に都合よく進めるための、いやらしい言い方だけど「武器」っていうのかな、そういうのでもなんでもない。むしろちょっと恥ずかしいから思わず隠す、けど止められない涙。

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ほんとこれ、良かったんだけど、もう一つSHIROBAKOの話上とても重要で、そしてその絵面の説得力に納得した涙がありました。あるぴんです。

あるぴんの泣き顔

監督からリテイクが出て、描き直されたあとのあるぴん。怒りメインでも悲しみメインでもない、どっちも、のリクエスト。
ここで監督はなんと言っていたか。

「だからさあ、お姉さんが裏切っているのをなんとなく気が付きつつ二人に言えないで言えないでいたんだ…。そのあるぴんの気持ちを考えると…おれはもう…」
「そのあるぴんが知ってたって呼ぶ(叫ぶ?)のはさ、万感の、ありとあらゆる感情と、時間と物語がこもってるわけよ!お綺麗な顔で呼べるわけがないのよ、もう、心のなかはぐっちょんぐっちょんのドロッドロなわけよ!」

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23話の宮森さんを、第三飛行少女隊のありあに重ねて、監督と原作者の問答にあったようにアニメーション同好会5人に対する責任感ではなく内的な問題が……と宮森の今後の決断を考えていくのもまあオツなもんだと思いますが、そのまえにあるぴんを重ねてみたい。

あるぴんが「私、知ってた!」と叫ぶのは黙ってる罪悪感とかお姉さんへの悲しみとかでしたが、宮森はじゃあなにを知っていたのか。もちろん、ずかちゃんです。

ずかちゃんのことを宮森は以前から知っていた。どれほど声優に憧れ、まじめに打ち込んできていたか、彼女の夢と努力を知っていたわけです。しかし、黙っていた。これはずかちゃんサイドの考えについて前の記事でああでもないこうでもないと考えたりしましたが(結局わりと難しい裏はなくあっさり宮森の紹介を遮ったずかちゃんは「後悔してた」ということだったのかな、と今は思いますが)、多分宮森さんにしてみれば「私の知り合いで声優さんがいるんですけど」と言っちゃいたい気持ちはあったでしょう。
しかし、立場的には立ち入ったことはできない。「4人も三女に関わってるんだからずかちゃんもおいでよ」なんて飲み会のお誘いみたいに軽くは呼べない。近くにいながら、できない。

このあたりの、おいちゃんずかちゃんの万感の、ありとあらゆる感情と、時間と物語がこもってのこの涙なわけよ!
だから、もう二人にしかわからないとこもきっとあると思う。そこがまたいいよね。二人だけに通じるアイコンタクトなんだ。

ずかちゃんは泣いたか

ずかちゃんは、泣いたでしょうか。多分、それはもうちょっと先だと思うんだ。この芝居が終わった直後ではないだろうし、もっと前の携帯電話が鳴るところでもないでしょう。
アオイホノオのラストでもあったじゃないですか。連載が決まって上京するというとき、主人公にサインを求めた庵野が言います。

「思っていたほどうれしくないだろう。なぜだかわかるか? すぐに…認められたらすぐにプロとしての責任感と、それに対する不安が襲ってくるからさ」

ずかちゃんとしては「わー嬉しい」で泣いてるところじゃありません。勝負開始です。台本を見返し設定を読み込み、要求を理解しどのように演じるか……結果として、当初とは見違える落ち着きの、堂々たる芝居でした。肩に力が…といえば主役の鈴木京子さんがそうでしたね。この二人の演技になるところもいい。

多分、ずかちゃんが泣くのはもうちょっと先なんじゃないかな。まだまだ、ここで満足しちゃいけない、と思うんじゃないかしら、勝手な想像だけど。

観ているわたくしたちの涙

そうだ、最初に「優しさを感じる」と書きました。メディスン的ではないにせよ、泣きやすさ、飲み込みやすさには十分配慮されていると思うのね。
同じ監督の作品、ガールズ&パンツァーのあのシーンを思い出したからです。

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桃ちゃんね。ずっと理屈先行で(でも射撃は外す)怒ってた彼女が、最後は身も蓋もなく泣く。ほんとこの、重圧だったんだろうな、というこのシーンでわたくし、ぼろぼろ泣いちゃうのね。
これはなんだろ、と思うに、あの、尾籠な話で恐縮ですが、ほら水の流れる音を聞くとおしっこしたくなるって言うじゃないですか。あれと同じで、アニメの中で誰かがわんわん泣くと、つられて涙が出やすくなるというか、そういうのあるんじゃないかな。

なかなかね、泣けと言われても泣けないのよ大人は。昭和の「涙を見せるな」みたいな教育受けちゃったりするとね。さらにね。どこか、こつんと叩けばじゃーっと泣けるんだろうけどこう、うまい叩き方をしないとだめなのね。

「わー、いいシーンだなー、泣けるなー」イイ話ダナーなんてツイートしながら、だいたい泣けてないことも多い。そこを、変に奇をてらわず、いい具合でちょうどよくこつんとやってくれる。
水島監督のこういうとこ、優しいなあと思うわけです。

SHIROBAKO 21話でずかちゃんはなぜ首を振ったのか

相変わらずこの雑談となりますが、いやこのアニメSHIROBAKO、見てるといろいろ思うことはあるんですが「まあ考えが熟すまで…」「日曜のBSでやるまで待つか…」などといいつつプリパラとかプリンセスプリキュアとか見てるといつの間にか一週間ですね。

ずかちゃんの行動

21話では、声優の卵ずかちゃんが行ったある行動について軽く話題になっているようです。

行動というのは、「なべP、他社(ザ・ボーン)の社長らに宮森がずかちゃんを紹介しようというところで、ずかちゃんは首を振ってそれをそっと制する」というもので、セリフを書き起こすと以下のようになります。

 

「はい、おいちゃん」(ずかちゃん宮森の前にビールを置く)
「ありがとう!」
「なに、知り合い?」
「あーはい、彼女はせい…」
(ずかちゃん宮森の肩に手を置き首を振り)「ごゆっくり」

 

これ見ていて、ずかちゃんを紹介しようとする宮森に、私も直感的に「それはやめたほうが」と思ったんですよね。でもなぜかはよくわからなかった。そこで、どうして自分がそう思ったのかちょっと整理してみたい。一応原因のありかを軸におおまかに分類すると以下になります。

  • ずかちゃん側の事情
  • 宮森に原因が
  • おっさんたちその他

ずかちゃん側の事情なのか

ずかちゃん、坂木しずかさんはここまでのところ、オーディションには2回落ち、ガヤでは思うように力を出すわけにもいかず、演劇をやってみたりキグルミに入って機転を利かしたりしてはいますが、結果としてまあ報われてない。

まあ、わたくしどもも声優として成功するのはそうそう簡単なことじゃないだろう、と一定の理解を認めつつ、しかしあと3話しかないんだぞどうするんだ、という焦りがあります。われわれが焦ってどうするんだと。焦るべきなのはずかちゃんお前じゃないか、と。

 

そんななかでこの行動。「甘いよ」と。「どんなチャンスも食いついていけよ」と。なりふり構わないハングリーさが欠けていると。厳しいご意見が当然ございます。

 

とくに海外だとこういった意見が多いらしい。そうだろうと思った。


かいがいの : (追記)SHIROBAKO 21話 「クオリティを人質にすんな」 海外の感想

拾い出すと、ずかちゃん行動については概ね次のような解釈となっているようです。

  1. さほど立派ではない経歴を恥じた
  2. 誰の助けも借りずに自分の力で仕事を獲得したかった
  3. 諦めてしまった

1、確かに声優と紹介されたら、その次に「どんな作品に出てたの」と聞かれる可能性は高い。「いえ、まだ…」「なーんだ、そりゃ声優ですってほどのことはねえだろ」などと、ガサツな酔っぱらい、いやベテラン業界人ならではのヒトコトがあるかもしれない。傷つくのを恐れたんでしょうか。

 

でもまあ、「まだ卵だけどね」「ひまだし」と仲間内では平気でぶっちゃけるずかちゃんですし、メインメンバー5人の中で見れば出遅れていますが世の中で見れば声優志望者はたくさんいます。あまりその点に関してナーバスというわけでもないのでは。

 

 2が一番わかりますね。コネよりプライドを取った、実力でなんとかしたかった、と。だからこそ、「いまさら実力やプライドじゃねえだろ」という意見になってくる。でもこれも、もしコネが有効な手段だとするなら、べつに今回に始まったことじゃないんだよね。宮森さんにもっと前から頼み込んで動くべきだったし、逆に宮森も友達のためにとっくに尽力していておかしくない。

 

わたくしはここで大きな勘違いをしているのではないかという気もしてきました。コネを利用して、というけど具体的にどうするんだ?オーディションなしで採用される?

すでに監督らにご指名されるほど有名であったらそれもありでしょうが、さもなければそれこそ「仁義なきオーディション会議」のときに批判された「政治的キャスティング」になっちゃいそう。

あんまり宮森にできることって、なさそうな気もするんですが、どうなんでしょうか。そういえばコネといえば縦尾先生がいた。そのコネでお芝居を見学したりしているわけで、なんかやっぱり制作進行やデスクから監督や音響監督に…と攻めるより声優業のコネが正攻法だし下手に悪印象を与えるより良いようにも思えます。

 

 このあたり、もしかしたらアニメ製作陣としては常識的な感覚であるため説明が漏れており私たちがそのギャップでもやっとしているのでしょうか。 

 

3、諦めた。うーん、それはないと思いたい。宮森たちにとってはどんどんドーナツの誓いからの脱落であって彼女たち5人の物語的には大問題ですね。演出としてもっと切ない顔させて欲しいしその「重大な秘密に気づかない宮森」をクローズアップしても…と思ってしまいます。

ただ、「声優を続ける気がない」というのは現実的にはありといえばありです。

逆に、楽観的に考えてみてはどうか。宮森がそこでがんばってもらわなくてもいいくらい、「ずかちゃんはもうどえらい仕事が決まりつつある」

今は守秘義務で黙ってるけど。梅ブーアニメ化とか。

 

もうひとつ、「居酒屋店員としてのプロ意識」 というのも考えられなくもない。でもこれとてじゃあ客の一人に「おいちゃん」と話しかけるだろうか。もっとビジネスライクにしても良さそう。

宮森のためなのか

ずかちゃんの事情ではなく、宮森を気遣ったとは考えられないか。これにはずかちゃんが、「おいちゃんがよそのアニメ制作会社の人間に呼び出されている」という状況を把握していることが前提になります。まあ、それは会話を聞いていなくてもその場で判断できるか。

そうでなければ、「あ、おいちゃんだ。……なにこのおっさんたち」という形になりますね。ああ、そう考えてもいいのか。あれは事情は把握してないけど、自分を誰かに声優として紹介しようとするおいちゃんに

「よせやい」

ぐらいの、「一般人には、フッ、そういうのは黙っておくものよふふん」ぐらいの制止だった……。違いそう。

 

状況が見えてた上で遠慮する。この場はあたしがでしゃばる舞台じゃない、おいちゃんがまずコネを作ろうと頑張るところだ、と。この場合は若干の自負も伺えますね。私が出て行ったら話題持ちきりになっちゃうしおいちゃんに悪いじゃなーい。いやーずかちゃんそれはどうだろう…。

それに、宮森さんがなにか仕事の依頼とか、頼み事をしているようには見えないでしょう。むしろ無理やり連れて来られてやりにくそうにしているわけで、「それじゃ私はこれで」ごゆっくりーはやや薄情かもしれない。助け舟を出しても良かった。

 

やっぱりもう少しシビアな話として、私という微妙な立場の声優を好意で宮森さんが無理やりねじ込んでくれた場合の、宮森さんに対する業界の信用が低下するおそれは。これはずかちゃんに実力があるないに関わらない話で、そういうことをしてもらいたくなかったのではないか。それに、そういう話になるとザ・ボーンの社長、急に真顔になって怒りそう。「偉くなったもんだなおめえ」とか。

おっさんたちその他の理由?

ずかちゃん、宮森の立場などとは関係のない、全然違う理由はないか。いつもこのおっさんたちはこの店に現れて暴れてまったく記憶がない、とか。

「いまそんな話をこのひとたちにしても無駄」

とか。

あるいは、先ほどずかちゃんはすでに仕事が決まってるのでは、という案を書きましたが、実はザ・ボーンの作品のオーディション待ちなので特に彼らに今接触するのはまずい、とか。

すでに以前似たような形で紹介されてうまくいかなかった、とか。

ここまでくると、もう想像の上に想像を重ねてるようで、あまり当たる気もしませんが…どうもこの、なんとなく「これでは?」と思うものがあるものの、もやもやするのはまだこの回では語られていないことがあるのかもしれませんね。

実は平岡の過去に関係が?

SHIROBAKOでは、多分意図的なところも多々あるはずだと思うんですが、対比が多い。アマチュアのアニメーション同好会とプロの武蔵野アニメーション、とか、人が集まってくる本田さんと人望がない平岡とかね。

 

思い返すとこの回では平岡と専門学校で一緒だった社長、なんて名前だっけ、あのひとが出てきていた。そういう「仲間」、グループをいくつか並べてみると

  • 宮森たちアニメーション同好会
  • 武蔵野アニメーション
  • 若き丸川社長の武蔵野動画
  • 矢野先輩や平岡の専門学校仲間

それぞれ、目標を持って突き進んでいたり、がむしゃらに進んでここまで来たり…現状は様々ですが、平岡たちのコミュニティに何が起こったのか、どうして平岡はあんなんなっちゃったのか。そのへんが語られていない。

 

これとずかちゃんの行動、そして「まだ語られていないなにか」…。これらをつなぐとしたら、

「平岡は、かつてこのときの宮森と同じように誰かを推薦しようとして(もしくは自分自身を強引に売り込もうとして)失敗した」

という可能性はないでしょうか。平岡の「ちゃんと仕事してんのにチャンスもらえない人間がどれだけいると思ってんだ」というセリフが引っかかってるんですよね。チャンスを与えて欲しかったのに、与えてもらえなかった、という意味の言葉ですよね。

 

あと3回しかないんで、どこまで平岡を掘り下げるのかわからないし、どうも、ああ、日が変わってしまった、MXではすでに今日が放映日になってしまった。宝くじみたいな当たるか当たらないかの話になってしまいましたが、ちょっとこのへんが気になるポイントとして、放映を待ってみたい。

 

そういえばちょうど今月いっぱいかな、武蔵境の駅前商店街がSHIROBAKO聖地としてイベントやってるんでこないだ行ってきたんですけど、少し雨で、ずかちゃん名前が読めませんでした。せっかく名前を売るチャンスなのに。がんばって!しっかり!

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SHIROBAKOがアニメの理由

実写向き?

しかしずいぶんな人気ですなあSHIROBAKO。感想を見ていると実写化したらどういうキャストかな、とか実写ドラマでやってもいいんじゃないの、みたいな意見をときどき目にします。

同じP.A.WOKRSの働くアニメ「花咲くいろは」のほうがその声大きかったかな。気持ちはわかる。多分、「ドラマが良くやる題材、展開に似ている」から、でしょう。恋愛ものがこじれまくる話、例えば「WHITE ALBUM2」なんかもそう言われてましたね、あっちは「昼ドラ」って声が多かったか。
題材が似ている、と言っても実写ドラマで恋愛は確かにしょっちゅうやってますが、別にしょっちゅうアニメ業界の話をしているわけではないはずなので、つまり「働く上での厄介なことや嬉しい事、やりがい」的なものを指していると思われます。

調理の仕方も似てるのかな、でもひとつ決定的な「アニメでやる理由」があるんじゃないか、それを雑談程度に書いてみます。

メタフィクションかな?

メタフィクション…というと「なにそれ?」ってひともいるでしょうが、知ってるひとは「なにをいまさら」ってやつですね。
メタフィクションってのは、Wikipediaとかはてなキーワードとかを見ればすごく簡単に「小説が言語によって作られた虚構であることを作中で言及する作品」と説明されている。要するに、登場人物が「そろそろページ数も少なくなってきたし犯人はお前だ」とか言い出すやつです。自分が小説の登場人物であることを知っている。
このあたりから、言語表現そのものと戯れるだの「テクストの快楽」だの「垂直の大騒ぎ」だの難しい方向にも行くし、「楽屋落ちかよ」とばかにする方向にも行く。

まあ作中作が出てくる「入れ子構造」だったら全部メタフィクション、というわけでもないんですが、SHIROBAKOは果たしてどうか。まずSHIROBAKOは、こんな構造かしら。
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この構造の、上下が緩んでるやつ、「反則」技で行ったり来たりするような場合これはメタフィクションということになるらしい。
確かに、SHIROBAKOの世界と現実はちょっと入り乱れてますね。SHIROBAKOの世界なんだけど現実に居る人、例えば木下監督と水島努監督(見た目は水島精二監督)とか、菅野光明と庵野秀明とか、あるいは山はりねずみアンデスチャッキーと山ねずみロッキーチャック、とあるお寺の即身仏などの作品まで、現実のモデルやパロディがたくさん出てくる。

でもモデルやパロディばっかりだったら、それこそ「楽屋落ち」の言い換えでしかない。まあ「メタなんとか」って言い出さなくてもよくあるっちゃあよくあるギャグです。最近人気のアイドルアニメだって、アニメの登場人物でありながら現実のアイドルとして機能している、という構造なんだけどそれを「メタフィクション」とはあまり言わない。

あ、著作権的に反則に近いやつはあっても、さっき書いたメタフィクションとしての「反則」は、そういう意味じゃないです。既成枠の、つまり常識からの逸脱みたいなテクニックだと思います。

そのつもりで眺めると、これ勘ですが、あの人形「ロロとミムジー」が怪しい。

「危険ドラッグ」というセーフガード

ときどき宮森さんの声優がロロとミムジーという人形を持ちだしてなにかしゃべります。実際人形を手にしゃべってますよ、という描写は1話にあった。このころは表情もないのね。宮森のお姉さんが来た回では、宮森さんの代わりにお姉さんが手に持ってしゃべらせたりしている。

このあとも、何かというとロロ、ミムジーは出てくる。だんだん表情もついて、喧嘩したり飛行機に乗ったり水泳したりしてる。まあこれ「ああ、アニメ制作の専門用語とかわかりにくいところの説明役なんだろうな」とわかります。さすがに現実のモデル化、パロディはたくさんありますから、それくらいはわかる。観ているひとはわかった上で「これは宮森がドラッグ決めてるんじゃないか」と冗談を言っている。

でも中にはほんとにわからないひともいるかもしれない。「この人形誰がしゃべってるの?」「宮森?」「まわりのひとにおかしいとか思われないの?」そこの説明がつかないうちはぼかぁ納得できません!……まあ今時そんなひといるかしら。いるかもしれんなあ。そういうひとには「ああ、ドーナツでドラッグですよ」って適当にあしらうのは悪くないのかもしれない。しかしまあ、水泳はどう説明するんだろうなあ。「あれはどこのプールだ!」とか。

これ、メタフィクションの萌芽だと思うんですよ。いろんな作品への反応見てますと、作中世界が現実の「説明」にはみ出してくると、なにやら落ち着かないひともいるようなんです。そこで、「作中世界は作中の中にきっちりとどまってますよ」宮森が作った幻想ですよ、とかの説明にしておくと納得する。なんだか、「楽屋落ち」のほうが本来安直な笑いであったはずなのに、どうも最近は「楽屋落ちじゃなくてちゃんと虚構内の話」と無理に押し込んだほうが笑いになる、なんだか奇妙なことになってますね。

「リアルだから面白いんだろう」

リアルかどうか、にこだわるタイプはどうなんだろう。なんとか警察、なんてのがしばらく前アニメ視聴者の間で賑わせてましたが、あれただ重箱の隅をつついてるわけじゃなくて、元は「もっとそのブツを知ってると面白い話が出るんじゃないか」という良心で言ってるひともいたと思うのね。アニメ的にはそんなんでいいとは思うけど、違うことはお伝えしておきたい、ああいうものだとみなに理解されては少々心外です、っていうひと。

十分なリアリティと話を感動的にするための嘘、これを作中木下監督は「バランスかな」とスッキリはっきり言っていますね。

「三女は視覚的な快感を優先させたいんだよね」
「そうするとリアルじゃなくなりますよ?」
「そこは、バランスかな。かっこよく嘘をつく、ってのを目指したいんだよね」

まあそういうことなんだろうなと思います。リアルだと面白い場合もあるし、あえてリアルじゃないこと、ケレン味がいいって場合もある。
そのあたりのバランス感覚については、こういう記事もありましたね。
「SHIROBAKO」の描く虚構と現実のバランス感覚 - subculic
そうだ、こないだTwitter見てたら、SHIROBAKOは見てないけど、と前置きした上で「ああ、ああいうリアルな業界モノがウケてるからね」って意見がありましてよ奥様。いやー、リアルだから、業界あるあるおもすれーってそういう部分も確かにあるけどそれだけじゃあここまで面白くならないよねえ。リアルだったらいいかって、12話で打ち上げしようって年末にあんな人数入れる飲み屋があるかいな、って武蔵野アニメーションの面々が商店街延々うろうろ居酒屋求めて彷徨う話が果たして面白かったか?って話で。(意外に面白いかもしれん)

わざと揺らがせる「リアル」の境界

細かいリアルを積み上げて、でも全体的には幻想的な「マジックリアリズム」ってのもあるようです。これはSHIROBAKOよりも「輪るピングドラム」「ユリ熊嵐」の幾原邦彦監督作品のほうに感じるかなあ。

でも、SHIROBAKOでもその創作の枠をあえて揺るがそうとしている気配がある。「あるぴんはここにいます!」なんかがそうですよね。虚構の世界を現実に生み出さなきゃいけない職業のひとたちだから、そのへんの希求は基本としてあるんじゃないですかね。

さっきの図、もうちょっと詳しくするとこうなりそうです。
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もっといろいろ細かくしようとすればできそう。声優さんがやるラジオってのも台本はあるでしょうし…電話ってのはあれです、武蔵野アニメーションに電話すると宮森が答えてくれるってやつ。まあそれくらいで現実と虚構の枠は揺るがないのですが、でもちょっと逸脱しようとしている。

あるぴん顕現のところも感動的だったし、「アリアになった…」にこっ、のシーンも泣けますね。ああいうふうに、アニメキャラクタが「現実」に降りてきた、っていうのを表現したい、そしてあわよくば赤矢印みたいに、SHIROBAKOの世界も我々の現実世界に立ち現れてほしい、そんな気持ちなんじゃないのかな。

そこで、最初の「この作品が(実写ではなく)アニメである理由」です。それは「アニメの絵がアニメの絵でアニメを表現する」ことで現実と虚構のゆらぎを最大化しようとしている、だと思っています。

だってさー、実写にして、アニメ絵のあるぴんだけが出てきてこんにちわ、じゃ今どき、なんか昔そういうドラマあった気がするけどゆらぎもくそもないよねえ。実写に混じって絵で描かれたアリアがにっこりしたって感動するかなーそこまで視聴できないんじゃないかなあ。アオイホノオ並に変顔できる役者と美少女連れてくればできるかなあ。


とまあ、いろいろ書きましたが、アニメをアニメで描こうとするチャレンジ、っていうのは結構でかい話としてあるわけです。P.A.WORKSの意地と自負みたいな。今までもちょくちょくあったけど、例えばあの作中「とてもマネできない」大倉さんが描く廃墟の絵、というのをこれからスタッフは見せて納得させなきゃいけないんでしょう? いや背景美術がものすごく綺麗なP.A.WORKSならできると思うけど、腕の見せどころじゃないですか。こんな面白さは実写じゃ構造的に無理じゃないの、ってのが今日の長いお話の結論です。どうですかね。