「シン・ゴジラ」可愛かったし面白かったよ

ガルパンばかり見ていてもなんだから、たまには大きいものでも見よう、と思いシン・ゴジラ、観ましたよ。
ネタバレ全開になります。

わたくしとゴジラさん

やっぱりね、結婚式や葬式みたいにゴジラとの馴れ初めから書き始めるのが落ち着いた段取りというものだと思うんだけど私は特にファンということもなくて、庵野さんに対してもそうで、だからこう、観た後いろんなひとの感想をふむふむほうほう読んでばかりなんだけど。

でも一応生まれて初めての映画はゴジラでした。幼すぎてどこでいつ観たのかもまったく覚えてなくて多分今頭に浮かぶシーンもその後にテレビで同作を観た記憶なんだと思うけど、なんかゴジラをはじめモスラとかラドンとかが力を合わせてキングギドラを倒すやつ。…もう、ほら、「ガルパン劇場版」にハマるための教育をこの歳で叩きこまれていたことがわかりますね。こういうの大好きなんだね。

その後は…うん、なんとなくガメラのほうが好きだった。回って飛ぶから。あとギャオスね。なんで好きなのか。尖っているから。それくらいのあれだと思う。

つまり、積極的に怪獣を調べまくるわけでもなく、戦車とか電車とか兵器に心奪われるでもなく、ぼけーっと口開けてたら飴玉を放り込まれたような。そんな程度です。でも放り込まれたままではなく一応カラコロと口の中を転がしたりはしていたようで、ボクの考えた最強のギャオスとかはちゃんとノートに描いたし、ムチウチ症のコルセットしているおじさんには「メカゴジラだ…」と思うし、ラドン温泉という名前にはちょっと思うところがある。

ましてや最近のゴジラ映画はアメリカでやったりいろいろ、すごいらしい、ぐらいしか。そんな感じですけど。

シン・ゴジラだけど

ほとんど前評判は聞かずに観ました。始まってすぐ、「わー、古い映画だ」と思った。ゴジラだからな。古いよな。と一瞬納得しかけたけど。まあでもよく見ると現代、みたい。

やたら会議するひとたち

そしてなんかやけに会議してる。これ途中で気づくのね、「あっ、もしかしたらこの映画は最後までずっと会議してるんじゃないか」
小説や戯曲なんかだとよくあるよね。ずっと裁判してるとかさ。多分そういう映画もあるんだろう。演劇っぽいし、面白いと思った。でも「これをガルパンみたいに何十回も見るのは厳しいかな…」あっちの文科省と戦車道連盟との会議を2時間やられたら…1,2回は観ます。

そして、そりゃそうだと思った。ウルトラマンとか戦隊物とかプリキュアだったら警備隊とか日常生活とかはーちゃんとか、映すことは多少あるだろうけど、これゴジラなんだ。ゴジラが暴れるか自衛隊が反撃するか会議するぐらいしかやることないんだ。あとでほかの人の感想を見て「ああ、家族ね…」「恋人かあ…」なんて思ったけど。確かに今の映画だとそうなるのかな。でもさ、ゴジラだべ?まあギャードカンバリバリだよね、素直に考えれば。そうコドモのわたくしが申しております。

政治家や官僚がああなるのも、今度はオトナの自分として、わかる。自分だってそうする。いや政治家なんか無理だけど。権限を超えて決断なんかできないししちゃいけないんだろう、個人が安直な暴走をできないように、そういう仕組になっている。末端のパイロットが「報告と形態が違うんですけど」「逃げ遅れたおじいさんがいる」となったら順繰りに上に判断を仰いでいって総理大臣まで行っちゃう。これ、風刺的なシーンなんだろうと思うけど、多分個々人は精一杯やってる。コドモ的には「この緊急時になんてザマだ、やれ!」と思ったりしてるけど、誰が悪いわけではなく、悪いとしたらもう構造が悪い…んだろうな、と、(まあほんとはもうちょっと良いシステムがありそうだなとは思いつつ)わかってあげちゃうのね、オトナ的に。それに、「自衛隊の銃口を国民に向けるわけにはいかない」ってそりゃそうだよねえ…。

それにしても、総理大臣になんでも責任を取らせる仕組みは気の毒っていうか…。「…ここで決めるのか!?」って自分だって言うわそれ。

「映画だから」政治家も官僚も理想的、なんじゃなくて結構実際の政治とかもそうなのかもしれないな、とも思った。いや中にはね、変な人や悪いやつも能力イマイチなひともそりゃいるとは思いますよ。しかし緊急時にはそれなりにみんな良かれと思って行動しているんだろうな、と。でも現実には「ダメ」とか「結果論としてはひどかった」とかそんなことになってるんだろうなあ、ってリアリティを勝手に感じた。

ああそう、リアリティ。この映画、あとから「現実vs虚構」というキャッチだとポスター見て知ったんで鑑賞中はそんなこと考えもせず見てたんだけど、普通逃げ惑う市民の視点に置くところを、対策するひとたちのところに目線を持って行って、それでリアリティが出るというのが面白いなと思った。あれだね、自分が体験している事故より、それを報道するテレビやスマホ越しのほうがリアリティ感じるというアレかしらね。

肌の映画

この映画、もしかしてなにかのオマージュかパロディなのかもしれないけど、「肌」の映画だと思った。

だって、とにかくドアップなのよ。まあTCXっていう一番大きいスクリーンの一番前の席で観たからかもしれない。どうせしゃべってることは「細かく聞かなくていいっすよ、まあ興味があればあとでブルーレイで」ぐらいのアレだと思うから適当に聞き流して肌ばかり見てた。そうすると肌のキメがよくわかるのよ。政治家なんかは年寄りだから、たるんだ覇気のない肌。主人公や赤坂先生なんかはまだ張りがある。カヨコ・アン・パタースンさんは流石に綺麗。

取り込み忘れた干し柿みたいなへちゃむくれ(役者さん申し訳ない)の肌のアップをこれでもかと見ているうちに、だんだん、「人間ってのも…こうしてみると不気味なもんだなあ」と。いやこんなのが口と呼ばれる器官や目とかで動いてなんかしてるわけよ。不気味。もういいんじゃないか絶滅したって…と思ってしまうところをカヨコがなんとか持ちこたえさせるという。
…もちろんそんな風に思い始めるのは、ガッズィーラのほうと交互に見ているからだけど。一方ゴジラの肌は、あの爆撃にも全く平気ってかなり頑丈だね。どういう素材でできているのか。じゃあそろそろゴジラに。

可愛いが分かり合えない第二形態

ゴジラさん、あの地上に上がってズルズルしてたのは第2形態らしい。第1形態は冒頭しっぽだけ見えたときのだそうだ。
「あ、違う!」思いましたね。「これはゴジラじゃない!」「こやつを倒しにゴジラさんが来るのでは?」みたいなことを一瞬想像した。でも立ち上がって「あ、ああ…やっぱり、ゴジラ…なの?」

これがさ、ウツボやラブカに似てるのよ。特に目が。まんまるで大きな白目、同じく丸い黒目。

「あ、だめだ。分かり合えない」

もう私はこの時点で絶望しましたね。だってそうでしょう。ウツボとかウルメイワシとかキンメダイとかと「われわれ人類は…」なんて交渉できますか?わたしはできません。
よく記憶にあるゴジラだったらさ、まああれ野球選手とかプロレスラーとかに居そうじゃない。それならムツゴロウさんとかを出せばなんとかなる。「よーしよしよし、いい子だねー」でどうにかできる。

でもまあ、魚ですよ。さかなクンさんがギリギリ、「あっ、これ美味しいんですよ!」ってなぜか生態および味覚を知ってる程度。あの目は、もうこっちが痛いとかやめろとか言うのに構わず、ちょっと血の味がする傷めがけて潜り込んで体ぐるぐる回して肉を噛みちぎっていくタイプでしょう。

ただ、エラみたいなところから血が一杯出て「あ、可哀想」とは思った。死んじゃうんじゃないか。そう言われてみるとつぶらな目もちょっと可愛い感じもする。せんべいとかあげると一度に飲み込もうとして無理で一旦吐き出してかじっていく感じがある。ゴジラっぽくないけど結構好きですよ第二形態。
魚から爬虫類の恐竜のようになって…そのうち哺乳類や人間みたいになるのか(生物でいう「進化」じゃなくてポケモン的な「進化」だね)…。

もしかしてすごく「面白い映画」なんじゃないか

で、何しに陸に来たかちっともわからないまま帰っていく。面白いやつだね。いやまあその場にいたら面白いでは済まないでしょうが。

そうそうこれ。あのね、随所に「笑える」ようなシーンが一杯あるの。さっきの「いちいち総理大臣まで問い返す」のもそう。会議のところも、最近こういうのよく見るなあ、って感じ。誰かが堺雅人が出てきそうって言ってたけど。お偉いさんの会議は「お仕事あるある」だ。
まあ、客席からの笑いが一番大きかったのは片桐はいりで、ただ出てきただけでみんなホッとしていたんだと思う。劇中も小休止みたいなとこだったしね。個性派俳優ってすごいね。顔見せてお茶どうぞぐらいのセリフであんなにみんなを安心させる。

多分これも計算だと思う。そういう笑いが出ちゃうのが嫌だったら使わないと思うしね。
ただ、そうして「思わず笑う」のが憚れる。自分の中のコドモはうすら笑いを浮かべてるんだけど、不謹慎じゃないかと、そのままへらへらしていたら炎上するだろう、日本の今大変なところなんだぞ、と現代に馴れたオトナの自分がストップを掛ける。「これ笑うところ…だよね?」と顔を見合わせるけど、庵野ってひとがきっとムスッと無表情で話を続けるのでまあ神妙にそのまま聞き続ける。

でも、やっぱりところどころ面白い映画なんじゃないかな…とは思う。

筒井康隆のブラックジョークな世界

庵野監督の作品は…あれは観たことある、カレカノ。あれは面白かったなあ。まあ…それくらい?
その代わり筒井康隆はたくさん読んだのでその話をしよう。「死にかた」というショートショートがあって、鬼がいきなりオフィスに現れてどんどん殺していく。みんな無視したり責任転嫁したり色仕掛けしたりするんだけど、殺される。最後に主人公が命乞いをして、「ほう、やっとまともなリアクションするやつが」と鬼が言い…みたいな話。

あるいは、怪獣ゴミィだったかな?マスコミが愛称なんかつけちゃって勝手に「子供にはやさしい怪獣ですよ~」なんて決めつけて記念撮影とかしたりして、無残に皆殺しにされる。

こういう一連の、「恨みとか金銭とか、話が通じるのではなく純粋に殺意だけ」という生き物の恐怖。そういうのを描こうとしてるんだな、というのはよくわかった。
そういう純粋さが、神、と感じさせるものなんだろう。まあ感じるのは結構だがひとが死んじゃってるわけで敬ってもいられない。そういえば、なんかの映画でああいう敵を崇める新興宗教ができちゃうようなのがあったと思うけど、そういう「庶民のドラマ」はほとんどなかったね。デモ隊ぐらいかな?
とにかく、「さまざまなリアクション」じゃなくて「対処」に絞ってるんだと思った。

痛快さと生真面目さと

さてそして、倒し方ですがやっぱりあの、ゴジラの火を吐いていてそれが鋭いレーザーみたいなのになるところ、もう恐ろしくもかっこいい。あんなに口を開いて。深海魚にいたよね、あんな顎の大きいのが。それに対して、無人在来線爆弾。そしてビル倒し。さすがの西住流も「無人在来線爆弾です!」などと鉄道マニアさんチームに攻撃させるようなことはしなかろう。

この、一方で政治家が取引をし、工場が冷凍剤を作り…とリアリティをずっと追いかけていくうちにいつのまにか突き抜けて「あれよあれよ」とそのまま虚構に持っていかれる、気が付くと東京駅にゴジラが立っていても「そうだよ、ゴジラあそこにいるんだよ」今度見に行く?ポケストップにもなってるよ、と平気で言ってしまいそうなところは(多分近づく前に警察かなにかに怒られる)、まず娯楽としてものすごく良かった。

そして、SHIROBAKOみたいにね、いろんな役職、いろんな立場の人間が力を合わせるモノ。そういうドラマを最近面白いと思うことが多くて、それはゲラゲラ笑う面白さというより、感動に近いんだけど。「私たちは、私たちにできる戦いをしましょう!」ね。それと対になるようにこの映画に出てくるキーワードが「好きにしろ、俺は好きにした」。総理が代替わりしたところでもあったね、「もう、好きにされてはどうですか」。

生真面目なんだと思う。ここに描かれるひとたちも日本の多くも。そりゃたまにはウェーイってはしゃぐひともいるけれども基本的にはまじめに「自分のできることはなんだろう」とみんなわりと考えてるんだと思う。そこが融通の効かないところでもあり、良さでもあると思う。
でも、それじゃどうにも進めないこともある。そういうときに、「おれは好きにする」と決断すること。これ、かなり勇気が要るんだと思う。でもこれが、「最初から好きに生きてるわけじゃない」生真面目な奴だからこその良さにつながってくるんじゃないかな。生真面目な奴がやる、スクラップ&ビルド。

そんなことを、オトナになってからすごく久しぶりに、口に飴玉を放り込まれて、カラコロやりながら思った、そんなシン・ゴジラでした。もう一回ぐらい見ようかな。